中野にある哲学堂公園に"花見"に行った。
桜はまだあまり咲いていなかったけれど、"花見"の人は沢山いたので"花見"という感じだった。
私たちは主に木を見ていた。一番長く見たのはヒノキの木だった。
全ての木には番号がついていた。管理社会だ。
"木見"では語感が悪いので、これは"森見"かなという話をした。
"花見"の人たちだって、食べたり飲んだり笑ったりするのに忙しく、あまり花は見ていなかった。
小さい人たちは、もっと花など見ていなくて、枝や石を持って走ったりしていた。
私はもう小さい人にはなれない。
大きくなって
小さかったことのいみを知ったとき
わたしは〝えうねん〟を
ふたたび もった
こんどこそ ほんたうに
はじめて もった
誰でも いちど 小さいのだった
わたしも いちど 小さいのだった
という吉原幸子の詩を思い出していた。喪失ではなく。
人々は桜を探していた。私たちは老子を探していた。
この広い公園で老子を探しているのは私たちだけだろうという自信があった。
老子に一目会いたかった。私は老子を知っているが、老子は私を知らない。なので私が会いに行くしかないのだった。
哲学堂公園には、哲学者が一堂に会す庭がある。哲学者というか昔の有名人の集まり。そこに老子はいた。
老子だけではない、キリスト、ハムラビ、シャカ、アブラハム、聖徳太子にガンジーだっていた。
私は笑ってしまった。
彼らはそれぞれ決めポーズがあって、頭身もバラバラで、思想もバラバラなのになぜか向かい合って円陣となって、私たちに笑われている。
日本人になって死ぬまで日本で暮らした、元々はハンガリー人の彫刻家の作品だという。
ワグナー・ナンドールという人。和久奈 南都留と名乗っていたらしい。和久奈さん。
同様のものがブダペストにもあるという記述を読んで、もっと笑ってしまった。
こんな変な空間が他にもあるのか。それって大丈夫なのか。
私は探していた老子よりもアブラハムにウケてしまった。おしり。
お祈りポーズ。
これは聖徳太子。ながーい。
私は小学生に日本の歴史の授業をしてお金をもらっていたことだってあるのだが、「聖徳太子って誰。知らない」と言われてちょっとまごついてしまった。聖徳太子を知らない人と話したことがあまりなかったからかもしれない。
そう言われてみれば聖徳太子って誰なんだろう。
「昔の…日本の…政治家で…沢山の人の話を一度に聞けた人…」
これが夢の共演ってやつか。
YO
ガンジー は ほそーい
哲学堂公園ははちょっと変な公園。
宇宙館ってなに。いろいろ何。妖怪門という門も通った。
いつか公園を作りたいと思いました。とても変な公園にしたい。
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