2016年5月6日金曜日

発狂する 一番適した狂い方で


村田沙耶香の小説『消滅世界』を読んだ。

近い未来、人工授精の技術が進歩して、セックスをしなくなった世界の話。
恋人とセックスをする人はもはや珍しく、そもそもヒトと恋をする人も減ってきて、多くはアニメや漫画など二次元のキャラクターと恋をしている。恋愛そのものを否定し、恋愛をしない人も増えている。

それでも結婚して子供を産み、家族を作るという概念はまだ残っている。
しかし夫にも妻にもそれぞれ恋人がいて、夫婦間でセックスをすることは"近親相姦"とされタブー視されている。
物語で「夫に襲われる」話が出てくるが
「まさか『家族』に勃起されるときがくるとは」
「普通、そういうことは外ですることでしょう。よりによって奥さんと性行為をするなんて」
「大丈夫よ、妻と近親相姦しようとするような変質者は滅多にいるもんじゃないわ」
この物語の設定の中での話とわかって読んでいてもぐらぐらしてくる。

主人公の女性は自分が父と母の"近親相姦"の結果産まれたことについて幼い頃から悩んでいて、世界の"正常"の変化についていくことができなかった古い価値観を持つ母(この物語で唯一我々読者と同じ価値観を持つ登場人物だがこの世界の中では狂人とみなされる)から聞かされた男女が愛しあってセックスをし子供を産むという"正常な"愛の話を呪いと感じている。

もうこの導入部だけで既存の価値観を壊されるし、人によっては嫌悪感をおぼえる設定かもしれない
でも単なるグロテスクな思考実験ではないと思う

避妊具を使用して生殖と快楽を切り離すことは誰でもやっていることだし
数はまだ少ないが人工授精によって生まれる子供だっている
二次元のキャラクターを「嫁」と読んで憚らない文化だってもはや認められているし
AVなどのエロコンテンツに容易にアクセスができたり、あまりにもクオリティの高いラブドールなどもう生身の人間と付き合う必要性を感じないという考えだって生まれてきている。
ちょっと話がずれるけど、壁一面のアニメキャラのポスターとフィギュアに囲まれて暮らす人とかすごく可愛いAV女優とか好むと好まざるに関わらずスマートフォンの画面に表示される動くエロ漫画の広告だとかって、ちょっと昔の人から見たらありえない光景だと思う。

Aセクシャルの人、そうでなくてもセックスに嫌悪感を感じる人にとっては理想の世界かもしれない。
恋愛とセックス、生殖とセックス、性欲解消とセックスが完全に切り離されていて、性行為をしなくても好きな人と共にいることができる、というかそれが当たり前の世界だからだ。
主人公は"今の時代には珍しい恋人と性行為をすることを好む人"として描かれるが、それまでしたことがなかった恋人に、セックスがどうしても嫌だと言われフラれてしまい、もしかしてキスですら相手は嫌だったかもしれないと落ち込み、夫に慰められる。もちろん夫とセックスをしたことはないしそれどころか肌をあまり見せたことがない、が、人工授精をして子供を作る予定だ。

セックスのない世界の物語でありながら、何度かそのシーンがある。
しかし通常の性描写では用いられない言葉で、登場人物たちも手探りで、目的も達する場所もないまま行為に臨む。読んでいるとそもそも何なんだったけセックスってという気持ちになった。なんでするんだっけ。

物語を読み進むにつれ、最初は異常と感じられたこの世界の感覚に慣れていく自分に気が付く。
「正常も変化してるの。昔の正常を引きずることは、発狂なのよ」と主人公は母親に言うが
主人公も変化する環境にどんどん適応していく。その様子を狂っているとも思うし、いや、いざ全ての人がそうして暮らす中で日常を送り始めたら、元々自分はこういう習性の動物だったと思うかもしれない

それでも同性愛はまだ広く認められてはいなくて、同性のアニメキャラに密かに恋をして苦悩し、将来は男性も妊娠できる技術を研究したいと考える少年のエピソードや、主人公とその親友がべつに恋もしていない見知らぬ他人の男と結婚するくらいなら気の合う長年の女友達同士で結婚できたらいいのにと考える場面が印象的だった。
 
この『消滅世界』を読む前に同じ作者による『殺人出産』を以前読んだ。
これもかなり強烈で示唆に富んだ短編集だった。
『消滅』を読む前に『殺人』を読んでおくと異常な世界観にスッと入って行けるかもしれない。

表題作の「殺人出産」は10人子供を産めば合法的に人を1人殺せる世界の話。
男性が妊娠することが困難ではあるが可能な点や、子供が画一的に"生産"される様子など、『消滅世界』に通じるものがある。
これも『消滅世界』同様、現代の私たちの価値観・倫理観からすると狂っている物語だが、
「たとえ100年後、この光景が狂気と見なされるとしても、私はこの一瞬の正常な世界の一部になりたい」という一文が印象的

また、「トリプル」という短編(これも『殺人出産』や『変愛小説集』の日本作家版などに収められている)も良かった。2人ではなく3人で恋をして、性行為にあたる儀式をするのが若者の間で定着していく様子を描いている。主人公の母親の世代は「3人で行為に及ぶなんて汚らわしい」と拒否を示すが、主人公は2人のセックスを目撃してしまいショックを受けて嘔吐する。

この『消滅世界』の元になったと考えられる「清潔な結婚」という短編も『殺人出産』に収められている。
夫婦間では性行為を行わず、家族の外に恋人を作る。
「家の外は、僕の恋と性欲で汚れている。家の中でだけは清潔な僕でいられるんだ」

『消滅世界』私も途中まではちょっと極端だけど、セックスと生殖が完全に切り離されたり、恋愛や結婚を必ずしもしなくてもよくなったり、誰とも結婚しなくても子供を産むことができたりする社会は多様性があっていいかもしれないとすら思っていた。

しかし物語が進み、千葉が実験都市"楽園"に指定されるあたりから恐ろしくなってくる。
そこで行われる実験とは、大人は性別を問わず妊娠可能することができ、生まれた子供はセンターに預けられ、地域で育てる。
地域で育てるというと聞こえが良いが、大人は全員「おかあさん」と呼ばれ、子供は全員「子供ちゃん」と呼ばれ、誰もが「子供ちゃん」の「おかあさん」になって個を消失していく様は不気味としか言いようがない。しかしその「子供ちゃん」を愛玩する「おかあさん」たちを不気味と思っていたはずの主人公も、徐々にその種の存続のみを目的とした世界に慣れていくのだ。

「本当は、僕らはもうすでに失っているんだよ」という登場人物の台詞を読んで
そうなのかもしれない。もう失っているけど気づいていない…
と思って恐ろしく感じたが、何を失っているのかわからない

主人公は最終的には本当に狂ってしまう。
というのは私たちの価値観に照らすと、というだけで主人公はこうも言っている
「洗脳されていない脳なんて、この世の中に存在するの?どうせなら、その世界に一番適した狂い方で、発狂するのがいちばん楽なのに」
そうなのかもしれない

最初は「ぜったいそうじゃない」と思いながら読み始めたのに次第に「そうなのかもしれない」と思っている自分に気がついてそれがこわかった。


作者は他にも突飛な、しかしどこかリアリティのある異常な世界の小説を書いている。
新潮で発表された「生命式」では人肉食が普通に行われる世界を描いていた。
「中尾さん、美味しいかなあ」
「ちょっと固そうじゃない? 細いし、筋肉質だし」
「あ、ひょっとして、池谷先輩って人肉あんまり食べない人なんでしたっけ」
という冒頭の会話からしてやられた
生命式とは死んだ人間を食べながら男女が受精相手を探し、相手を見つけたら二人で式から退場してどこかで受精を行う、というものでなんか山奥の村の昔の風習にありそうな気もしてくるからこわい。
セックスという言葉を使う人があまりいなくなり、「受精」という妊娠を目的とした交尾が主流となるという設定も、『消滅世界』に通じるものがある。
ここで少し読める

この前、村田さんが出演する句会イベントに行った時も、初めて俳句を詠んだという彼女の句は面白くて、
ネックレススープに入れて夏近し
という句、ネックレス入りのスープを作成して夏を感じてんじゃねーよと思っていたら
”別れた恋人からもらったネックレスをもういらないとスープに入れて夏が来る”という句だった。

嫌いな人の睫毛を食べて春嵐
という句も、まず「嫌いな人の睫毛」という言葉から目が離せなくなってしまって、今まで好きな人の睫毛については散々想いをはせてきたけれど嫌いな人の睫毛、嫌いな人なのに睫毛という細部まで見ている、とても注目している、と思ったら食べた!という驚きがまずあって、次に嫌いな人に対して気が狂うほど怒ってしまってとにかく相手にダメージを与えたい、殴るとか噛み付くとかでは足りないもっとこう何かブランニューな危害を与えたいという衝動で睫毛を口で毟り取ってしまう情景を思い浮かべた。睫毛が無い顔にしてやりたい程の怒りみたいな。
次にやはり口が目の近くにあるという普通ではない距離感から性行為を連想して、セックス中に突然今まさに瞼に口付けをした相手のことが嫌いだ大嫌いだ睫毛を毟り取ってやりたいと気づいてしまってそれまで感情の赴くままに身体を動かしていたその連続で睫毛を毟り取って食べてしまう情景を思い浮かべた。
と、色々なことを考えたのですが村田さんの自句自解はこう
生理的嫌悪感をもっと感じてみたくて酔い潰れている嫌いな人の睫毛を食べてみる」
やばい

歯が燃える夢を何度も春の虹
という句も良かったな。
村田さんはおそらく口を使って食べることに関心がある。きっと抜けた歯を燃やすんじゃなくて今生えている歯が燃えているんだと思う。
そんな尋常じゃない状態の夢を何度も見るのが春
春なんですよ
春、歯は燃えているか

胸に入る空気春です春です
という他人の句を読んで、「もしかして手術をしているのかな」と解釈したり、今もコンビニでバイトしているという話も面白かった。

話がだいぶ俳句の方へ逸れましたが
既存の価値観を疑う、揺さぶる、当たり前を改めて考えるといったテーマは好きだし
読むと色々なことに思いを巡らしてしまう。
今後の作品もたのしみです。

2016年4月20日水曜日

注文-生産

先日、京都国立近代美術館に初めて行った。



向かいの京都市美術館は朝から行列で
何をやっているのかと思えばなるほどモネとルノだった



3階の展示室へと上がっていく階段と大きな吹き抜け空間が印象的


"オーダーメイド展:それぞれの展覧会"というタイトルの、現代アートの展示をやっていた

何がオーダーメイドなのかというと
「鑑賞者が順路やテーマを選択しながら鑑賞することで、展覧会の見え方が変化するプログラム」とのことで
作品同士がどのように関係づけられ、作品の〈配列=オーダー〉がどのように決定されうるのか
要するに順路を自分で選んでゆく展示ということ
出口は決まっていて入口は2ヶ所あった

といってもワンフロアであるし
もっと入口がたくさんあったらもっと面白かったなと思う

私は階段を登ったところにある入口から観た
これが正規のルートであるらしい


入っていきなりヴォルフガング・ティルマンスのKyoto Installationが展示されていてアガった
去年夏、大阪にティルマンスの展示を観に行った。

この美術館のコレクションの中からキーワードに沿った作品がセレクションされ、区画ごとに展示されていた
キーワードは以下の通り
FRAME
COLOR / MONOCHROME
OBJECT
MONEY
READYMADE
BEYOND ORDER
ID
PLAY
BODY
REORDER
STILL / MOVING
特に目新しいワードはない


全体として観ると少し、雑多な印象は否めなかったが
それでもこの文脈で観る都築響一の着倒れ方丈記は面白かった
時々オットー・クンツリとかレオン・バクストのバレエリュスのための衣装デザインの原画があったりして、この美術館のコレクションの豊富さを知った


クシシュトフ・ヴォディチコのヴィデオ・インスタレーションが面白かった
擦りガラス越しに向こうにいる人の挙動が見える…という映像

"STILL/MOVING"のコーナーにあった、フィオナ・タンの≪揺りかご≫というタイトルの映像作品がSTILLかつMOVINGでとても良かった。
空中に吊るされたハンカチに映写機で投影されたいつかの誰かの記
ハッとしたし、呼び起こされた古い記憶が浮遊しているような気持ちがした


ピピロッティ・リストの≪私の空間に明るみを≫というインスタレーションが良かった
一見すると様々な物や本が置かれた本棚(STILL)
よく見ると浮かぶガラスの半球体、本の表紙に投影された映像(MOVING)

他にもマティスの"Jazz"やピカソの"Still Life"などが展示されていて
なるほど"STILL/MOVING"だった

椅子椅子椅子椅子本本本本

2016年4月19日火曜日

美術館のたのしみ方

①行くまでをたのしむ
美術館に行く前段階として、まずはどこそこの美術館にてこういう展示があるということををインターネットかチラシか人からのおすすめなどで知り、おもしろそう気になる行ってみようと思うわけです。
あの作品が展示されているらしい
作家の誰それの新作が発表される
今漠然と興味を抱いていることがキュレーションのテーマだ
なんとかさんがツイッターで面白かったと言ってた
どんな展示なのかな
よく行く美術館の年間スケジュールが発表された
なんとかの大規模個展だと
チラシのデザインがかわいい
惹句がウケる
などなど、色々あると思いますが、まずはこの前情報に対する感想と期待の気持ちをたのしみます

②道のりをたのしむ
さて、美術館に行く日がきました。
美術館に行こうとするとまず遠くから美術館に近づいて行きますよ
例えば品川駅から歩いて原美術館まで行く時とかのあの感じです
清澄白河駅から歩いて東京都現代美術館に着くまでの間に2つやっている企画展のうちどちらから観るかなどを考えているときもそうです。
電車やバスを乗り継いでちょっと遠くの美術館に行くこともあると思います。
ずっと訪れたかった美術館に初めて行くときはドキドキしますね
この前信楽のMIHO MUSEUMを初めて訪れたのですが、最寄り駅からバスで50分、1時間に1回しかないバスに上手く乗れるか、乗った後もどんどん山奥に入っていくのでドキドキしました。
まずはそのアプローチをたのしみます。

②美術館の外観をたのしむ
美術館に近づくとだんだん建物が見えてきます。
まずはその見えてきた外観を楽しみます。
もちろんパリのポンピドゥーセンターみたいにメトロから地上に出たらいきなりドーンと建っているみたいなこともあると思うんですけど
庭園美術館のようにじわじわとアールデコな建物が見えてくるあの感じです
ちょっと立ち止まって観てみてもいいです
何度も行ったことのある美術館でも、お天気・時間・季節・こちらのエモーションによって表情が異なっています
建物目当てに美術館を訪れることもあります。例えば千葉のホキ美術館などがそうです。
でも誰それが何年に設計したとかは知っててもいいし知らなくてもOK

③美術館の内観をたのしむ
建物に一歩足を踏み入れたときの感じをまずたのしみます。
外観から持っていたイメージとの違い、第一印象などがたのしみポイントです
エントランスホールに気合を入れている美術館は多いと思います。吹き抜けているとか。
あと美術館の中から窓を通して外を見てみる。ここに気合を入れている美術館もいます。
他にも採光の仕方とかサインのデザインとか(トイレこっちですとかのやつです)展示室のレイアウトとか動線とか美術館によって様々な気合入れポイントがあると思うので、そこをたのしみましょう
元々は美術館ではなかったところを展示空間としている美術館もありますね。
例えば富山の発電所美術館とか。発電所のままだったら一生入らなかった空間です。
美術館ではなかったときのことを想像してみるのもたのしいです。

④チケットをたのしむ
美術館に入ったらたいていチケットを買うと思います
チケットの値段を見て改めて「この値段分たのしんでやるぞ、絶対にだ」と決意を新たにします
チラシデザインとほぼ同じの場合もあれば
ちょっと凝っているデザインのもあるし
人によってチケットのデザインが違うこともあります
私は群馬のハラミュージアムアークのチケットのデザインが大好きです。
あと使われている作品は今回の推し作品だと思うのでなんとなく覚えておきます
もちろん推しっていうか有名とか見栄えがいいとかキャッチーとかそういう理由もあるのかなと想像しています
私はチケットに使われている作品を観ると「チケットに使われている作品だ~」と思います
実際観るとこんな感じなのか~というたのしみ方をしています

⑤会場構成をたのしむ
最近は企画展の会場構成を建築家が手掛けていることも多いですね
通い慣れたハコでも会場構成によって全然違って見えてくることがあります。
会場構成は展示が終わってしまえば撤去される、いわばエフェメラな建築の一つであり、後からは会場写真や図面などを通してしか知ることができません。
空間を体験できるのは展示期間中だけです
これはかなりおたのしみポイントかと思います
順路がないタイプの会場構成も時々ありますね
京都国立近代美術館でやっているオーダーメイド展は自分で順路を選ぶ展示でした。

⑥作品をたのしむ
そもそも何をたのしみに来たのかというと展示されている作品をたのしみに来たのでした
たのしみ方は無数にあると思うのですがポイントは

・目の前に実物が存在している
・おそらく鑑賞に最も適した環境が用意されている
 (残念ながらそうではない場合も多いのですが)
・この展示空間は今、この展示期間中しかない
・その空間を他者と共有している

という点にあると思います。
それらを踏まえた上でたのしみポイントをいくつか挙げると

・作品を把握し(コンセプト・素材・手法など)自分なりの評価をする
・作家からのメッセージを(勝手に)受け取る
・提起された問題について自分の立場から考える
・制作当時の歴史あるいは現代社会の流れを知る
・他者の思考の一端に触れる、知らない人の個人的な記憶にアクセスする
・まったく観たことのない光景・事象・モノが観られる

などなど。あと私は以下のようなことを考えながら観ていることもあります。

1個持って帰って自分のものにしても良いと言われたらどれを持ち帰りたいか、家にどう飾るか考える
・作品の値段。なぜ高いか。自分が値段をつけるとすれば。これから売れそうなのは。
・おもしろいものがたくさんならんでいるところをお散歩
・作品あるいは作家を一言で表すキーワード、惹句などを考える
・よくわかんないけどウケる→何がわからないのか。なぜウケるのか
過去に他の場所で観た展示や自分が最近考えていることと今観ている作品を結びつける

⑦写真を撮るというたのしみ方
あと最近では写真を撮ってインターネットにアップすることを奨励するような展示も多いですね。
先日行った森美術館もそうでした。
この作品だけ、このエリアだけ写真OKですという場合もあります。
展示されているブツに対して写真を撮るそれをネットに上げるというアクションを起こすのもたのしみ方の一つとして定着しつつあるのだと思います。
このたのしみ方について否定的にも肯定的にもなれないのは、展示空間におけるふるまいとして完全にダサいあるいは下品と思うのですが写真OKと言われると私もついつい撮ってしまうからです
ヴェネツィア・ビエンナーレに行った時など、気軽に再訪できないということもあり記録もかねて死ぬほど写真を撮りました。
なぜ撮ってしまうのか?なぜ撮ることに全肯定的になれないのか?を考えるのもおたのしみポイントになりつつあります。
ルーヴル美術館に行ったらみんな自撮り棒で作品と自分のツーショットを撮っていてウケました。

⑧ミュージアムショップをたのしむ
展示の図録が売っています。ここで買うと重いですが興奮して買ってしまうこともあります。
他にも最近死ぬほどグッズ展開している展示も数多いですね。
グッズを売るために展示しているのかよと思うこともあります。
Bunkamuraの国貞×国芳展に行ったらグッズ展開に余念が無さ過ぎて笑いました。
どの作品がどのようにグッズに適用されているか?どの作品がキャッチーなのか?
何故こんなグッズの企画が通ってしまったんだろう、売れるのか?
など丹念に見ていくと面白いです。
引き伸ばされても縮小されてもトリミングされてもなんかだせえロゴを入れられてもそれでもなお人に強く訴えかける力がある作品もあるということを知ることもできます
あと実物を観たばかりの余韻の中で小さなポストカードを観ると全然良くないorなんか実物より良くない?これくらいのサイズの方が…というような見方もできて面白いです。
インスタレーション作品は、他の会場で展示された写真を観るのも面白いですね。
美術館のオリジナルグッズをチェックするのもたのしみの一つです
ロゴが入っているだけかよ、というのもあればいい感じのやつもあります。

⑨カフェやレストランをたのしむ
いろいろたのしんで疲れましたね。休憩しましょう。
美術館併設の飲食施設もたのしみの一つです。
レストランは高いのでたまにしか行かないですが、カフェでちょっとお茶はよくします。
美術館の高いレストランといえば1回だけMOMATのラー・エ・ミクニへ行ってフレンチのコースを食べました。
あと国立新美術館の浮いてるレストラン、ブラッスリーポール・ボキューズミュゼにも行ったことがあります。いつもは大体地下の飲食スペースでハヤシライスです。
横須賀美術館のレストランは眺望が最高なのでよく晴れた日におすすめです。
根津美術館の離れのようなカフェはお庭がたのしめます。
MOTのカフェ・ハイのモロッコパイとあずきのチェーが大大大大好き
原美術館のカフェダールはイメージケーキが有名ですが、写真を見て満足してしまって食べたことがありません
三菱一号館美術館のカフェも素敵な空間です、展示がやっていない時期にアフタヌーンティーをやっているそうなので今度行ってみたい。

⑩家でもたのしむ
美術館を出て、家に帰ってもまだたのしめます。
家のソファに座ってゆっくり図録を眺めたり
買ったポストカードを部屋のどこかに飾ってみたり
その作家の著作や作品に関する本を読むのもいいと思います。
また、同じく展示を観た人の感想を検索して読むというたのしみもあります。
自分が感想を書いてみるのも良いです。
関連する展示が同時に他の場所で行われていることも多いので調べてみましょう
次の行きたい美術館が見つかります。

以上、美術館の10のたのしみでした

2016年4月18日月曜日

2016春 京都旅行

信楽のしだれ桜
< 1日目 >

9時、東京駅出発
新幹線の中でサンドイッチを食べる
京都に行くのは5年ぶり10回目くらい

5年前、3.11の後、しばらく京都と神戸に行かされた

11時半、京都駅到着
幼い頃よく乗っていた琵琶湖線に乗って石山駅に行く

途中、ぜぜ駅。Zeze 膳所と書くぜぜ
ぜぜ ぜぜ ぜぜ Zeze 

まだ字が読めない頃、「かたた」という音を覚えていた駅が
「堅田」と書くことを知って少し衝撃
かたたえき

石山は名前が平凡過ぎて記憶に残っていなかった。
だって石と山だぜ

石山駅12時10分発のバス(1時間に1本しかない)に乗っていざ信楽へ

13時過ぎにMIHO MUSEUM、のエントランスに到着。

しだれ桜 長いトンネルを抜けるとそこは 念願のMIHO



展示を観た後、カフェで休憩
16時過ぎのバスで下界へ帰る

17時、京都駅着。
17時半過ぎ、烏丸御池近くの宿にチェックイン

いい宿がとれなくてちょっといいビジネスホテルみたいなところ

夜は錦通りにある築100年の京町家を改造した居酒屋で飲む
チェーン店だけどなかなか良かった
入口がわかりづらく、忍者屋敷のようだった

天然温泉のスパへ行って岩盤浴したり(汗がすごくでた)
ラウンジでビールを飲んだりソーセージを食べたりしてごろごろする。


< 2日目 >



8時、烏丸御池の伊右衛門サロンでお茶漬け朝食を食べる。
真鯛と玉葱を塩昆布で和えて深蒸し煎茶をかけて おいしかった
開店30分前から並んだところ、2番目で予約なしでも入れた。

電車に乗って東山駅へ
駅から小さな川沿いを歩いて岡崎へ

美術館は9時半からでまだ開いていなかったので
前川國男設計の京都会館改め新生ロームシアターに行く
蔦屋書店で時間つぶし



9時半、京都国立近代美術館へ
オーダーメイド展とコレクション展示を観た。

美術館を出て、新しくなった動物園を通り過ぎ、歩いて歩いて銀閣寺方面へ
今思えば途中、ホホホ座に寄ればよかった…
哲学の道を少し歩いた

12時、満を持して、京都で一番予約が取りにくい店で日本一の昼食を食べる。
今回の旅の目的だった
カウンター席でちょっと緊張
摘み立ての草食べた
どこまで食べていいのかわからなくてぜんぶ食べた



私より全然年下であろう新米らしき料理人を観ながら大変な世界なんだろうなあと想像した

なるほど予約が取りにくいシステムだった。常連さん優先
なんとか次の予約を取れてほっとする
日本一かどうか私には判断できないが、今まで食べた昼ご飯で一番豪勢で一番御代金を支払ったのは確か。

昼食というか、演劇を観たみたいな感じがした
演者が話しかけてくるし劇中に作られたものが食べられる
というより我々も演者の一人だった

昼食後、大山崎の山荘美術館へ行く予定だったが、思った以上に昼食に時間がかかり、食べ終えて一息ついて店を出たら15時になろうかという時間だっ
行くならゆっくりしたいし、満腹すぎて動けなかったので断念した

かつて祖母が住んでいたあたりを観に行った
ガケ書房が全然ガケ書房ではない店になっていた

歩いて歩いて京都のカルチェラタン、百万遍へ
京大、進々堂を通り過ぎる
吉田寮の募集の立て看板
「対象:京大生及び京大生と切実な同居の必要性がある者」

高1の時、初めて友達と旅行した。
京大を見に行った、京大に行くつもりだった
理由:一人暮らししたいから東大じゃダメ
ちなみに東大に行く学力は無かった

京大の正門の前で記念写真を撮った気がする
ちなみに京大に行く学力は無かった

四条烏丸のホテルに泊まってあちこち行った
結局二人とも京大には行かなかったが
旅の疲れでお互い機嫌が悪くなり
ちょっと喧嘩っぽくなったような記憶もあるが
良い思い出

歩いて歩いて鴨川デルタまでたどり着く
川は 有象無象の学生にあふれ
電車に乗って三条で降りる

まだ明るい先斗町を歩く
歌舞伎練場

夕方になり、喫茶フランソアへ
混雑していて少しだけ並んだがすぐ入れた
タルトタタンを食べ、珈琲を飲んだ

混雑した四条通りを歩いて歩いて
途中大丸の謎の部分を見つけたりもし
また歩いて歩いて宿に一時帰宅
足の疲労&満腹でしばし休憩



夜、蛸薬師通りにある二匹の豚という意味の名のワインバーで軽く飲む
ヴァン・ナチュールの品揃えが豊富で、壁一面におすすめコメントと生産者の顔写真付きのボトルが並んでいた
パテとパンとチーズをつまみに
ホテルのバーで飲もうかとも思ったが行ってみてよかった
京都の夜は更けてゆく…という感じでよかった


< 3日目 >

7時過ぎにイノダコーヒ本店へ
雨が強く降っていた


モーニングした
アラビアの真珠飲んだ

イノダコーヒ本店の近くにマリベル本店があった
遅く起きたらマリベルでモーニングもよかったかもしれない
mariebelle marieがいる

京都駅へ行って駅の美術館で木村伊兵衛が撮った1950年代のパリの写真を観た
京都は少しパリっぽいと思う

マールブランシェでエッグベネディクトのパンケーキを食べる

花梓侘の手まり寿司弁当を買おうと思ったら、入荷が15時とかで断念…

13時半発の新幹線に乗って東京へ帰った
帰りの新幹線の中でいつかこの旅行を懐かしく思い出して涙することもあるのだろうなと思った



以下、次の京都旅のためのメモ


○次京都に行ったらしたいこと
・たまごサンドを食べる
・おいしいパンを買う(要調査)
・眼鏡を買う
・先斗町で飲む
・良いワインバーをもっと見つける
・AWOMBで寿司バラバラ殺人事件したい
・マリベル本店のモーニング
・伊右衛門カフェでお茶
・叡山電車に乗って北の方へ行く
・さらさ西陣 …タイルが綺麗
・花梓侘の手まり寿司が食べたい

○行きたい場所
・重森三玲の手がけた庭巡り …京大の近くの美術館は要予約
・大山崎山荘美術館 …安藤忠雄の建築
・堂本印象美術館 …金閣寺の方にある 装飾的な建物
・何必館
・純喫茶巡り
・ワインバー巡り
・名前はよく知っている磔磔とかMETROとかに行ってみたい
・ホホホ座

○京都の泊まりたい宿
・クマグスク …ギャラリーに泊まるみたいな感じらしい
・アンテルーム京都 …京都駅より南 おしゃれらしい
・ウサギノネドコ …名前がかわいい
・Oil Streetというゲストハウス
・京はる家なんとかシリーズ

京都の建築マップminiを持ち歩いてそれを見ながら散歩するのがおすすめ

2016年4月14日木曜日

美しい娘

ロシア映画『草原の実験』を観た。

監督はアレクサンドル・コットという人。

この映画は何も説明がない。場所も、時代も、登場人物の人間関係も、どうしてそんなことが起きたのかも。
セリフも一切ない。
だから、様々な解釈が可能だと思う。
英語タイトルは『TEST』らしい。
邦題は少し説明しすぎた。

これから観ようと思う人は、以下に書くことはできれば読まないで観た方がいい。
シンプルで黙示録的な美しい映画で、美しい娘が出てくる。

これくらいの予備知識で観に行くのがいいと思う。

主人公の娘は本当に美しい。
長い髪をリボンと共に三つ編みにしていて、それをそっとほどく所作とか、髪を下ろしているとぐっと大人びてみえる様子とか、首から下げている井戸の鍵を取り出そうとしたときに見えたうなじとか。
子供でも大人でもない境界にいる少女が静かに暮らす様子を淡々と映しているだけで、胸を打つような美しさがあった。

想像もつかないくらい外部と隔絶された暮らし。
娘がライフルを空に向けて撃つと馬に乗った青年がやってくるシーンが良かった

娘に恋をした青年が、映写機を懸命に回して彼女の写真を壁に映し出すシーンも美しい。
エドワード・ヤンの『恐怖分子』を少し思い出した。はためく印画紙。焼きついた彼女のイメージ

美しい娘と無骨な男の二人きりの暮らしを描く様子は何となくキム・ギドクの映画を思い出した(ギドクだったら娘は囚われの身かも)。
あのポツンと生えている木、あれはタルコフスキーの『サクリファイス』へのオマージュと言っても過言ではないだろう。
家の中の光や風の様子も、なんとなくタルコフスキーの映画を思い出した。『ノスタルジア』とか。
そして後半は園子温の『希望の国』を思い出した。

衝撃とされるラストは、邦題とオープニングと劇中の描写を丹念に拾えば想像がつくものの、轟音とその光景には言葉を失った。
荒唐無稽な、と思いかけたが現実に似たようなことが起こったことを思うと何も言えなくなる。

旧ソ連、現在のカザフスタンのクルチャトフにあるセミパラチンスク核実験場
旧ソ連の閉鎖都市の中でも最も機密とされた一つで、核開発の責任者はこのあたり一帯は無人であると偽って核実験を行ったという
クルチャトフという市の名前は、ソ連の核物理学者の名前である。

旧ソ連圏であろうどこか広大な草原が舞台というだけで、別に具体的にセミパラチンスクとの関連性を示すような描写はない。実際に撮影が行われた場所はウクライナらしいし。
観た人の想像に任されている。
父親らしき男は、核施設で働いていたのかもしれない。何も語られないからわからない。
娘の行く手を阻む有刺鉄線を観た時に、実は娘は隔離区域で暮らしていて、密かな人体実験が行われているのかと思ったけれど、逆で、それを越えると実験場なのかもしれない。
父親が途中で娘を車から下ろすのは、被曝を恐れてか。
余所から来たと思われる青い目の青年はどこまで知っているのか。どこに住んでいるのか。それでも恋をしたから娘の元へ通ったのだろうか。

同じ構図や同じことの繰り返しの描写が多く、永遠に続くかと思われた日々の繰り返しのそのわずかな違いに、退屈や外の世界へのあこがれだけではなく、静かな幸福や暮らしの安寧が漂っていたことに、すべてが吹き飛んだ後で気がついた。




2016年4月11日月曜日

Kind One

"むかしわたしは鬼たちの住む場所にくらしていた。わたしも鬼のひとりだった"

レアード・ハントの『優しい鬼』を読んだ。
この物語は、奴隷制が存在した南北戦争以前のケンタッキーの山奥の"楽園"での日々を軸として、過去のことを掘り起こすように、半ば懺悔のように、複数の語り手によって紡がれている。戦争や奴隷問題を描くというよりは、その背景の中で個人の人生に起こったこと、それぞれの語るべき物語を語らせることに終始している。

主人公ともいうべきメインの語り手の声はひらがなが多用されているためやわらかく、幼く、とりとめがない。そのため、その場所で営まれていた常軌を逸した生活もなんだかぼんやりとしかつかめない。複雑な感情を処理しきれていないという感じがする。それでいて残酷で美しい詩のように容赦なくこちらの心に響く。
おぞましい行為の描写を読んでいても、なんだか美しい詩の朗読を聞いているかのような気持ちになって、それが怖かった。

"置き去りにしてきたとおもったすべてのものが、明日と呼べるんじゃないかといまだにおもっていたもののまんなかにテントを張って「こっちだぞぉ」とわめく、そんな日がいつか来る。それで、わたしもここにいる。"
というなんだか読みにくい一節を読んで、悪夢からまだ目が覚めていないことに気付いたときのようにぐらぐらした
全体的にまだ完全には言語化することができていない気持ちを、しかし語るべきときがきたので語らねばならないと無理にでも言葉にしたかのような文章だと思う。

作者のレアード・ハントがこの物語につけた"Kind One"というタイトルを、訳者の柴田元幸は『優しい鬼』と訳した。
"優しい誰か""優しい鬼"ではだいぶ印象が違う。
でも優しい鬼とは誰のことなのか。

彼はすこしも優しくなんかない。ただの鬼だ。力で支配する。
女性を性欲処理の道具としか思っていない。

彼女はどうだろう。奴隷をただの道具として見ていただろうか。
年老いた彼女は自分がかつて鬼であったことを自覚している。だから罰を受け入れたし今でも責めを負い続けている。
それでは"優しい鬼"とは被害者であり加害者でもある彼女のことだろうか。

それでは奴隷として虐げられた彼女たちは、何をしたか。


ずっと"優しい鬼"とは誰のことなのか考えながら読んでいたけれど、読み終えて誰もが"優しい鬼"たりえるのだとわかった。どの語り手も、あるいはこの物語を読んでいる我々も、誰しも""になってしまう可能性がある。あなたもわたしも少しずつ優しいし少しずつ鬼なんだと思う。
実際に同じ人間を、奴隷として使っていた歴史がある。人は簡単に歪むと思う。

ちなみにフランス語では"Les bonnes gens"と訳されているという。
全員鬼で、全員優しい女性たち。

支配され虐げられる者の象徴として豚が描かれている。
"豚は、自分がされていることを知っている。"という短い文章が頭から離れない。


狂った生活を描く中に差し込まれる、虐げられる者が語る空想の物語や、詩のような魔法のような描写にあっけにとられたり魅了されたり不安になったりした。
"あんまり長いこと、あんまり激しくわらうものだから、そのうちなんだか、わらいが父からはなれていってスカートのすそをつまみ上げ固いブーツでテーブルの上にのぼってわたしたちの目のまえで踊ってるみたいな気がした。"

自分を性的に虐げる者の比類なき歌声の美しさを表すのに使われていた、"ひとの背中から皮をはいでべつのひとの背中にはりつける力があった"という表現には目を見張った。


1911年/1850年代/1861年。ケンタッキー州シャーロット群、インディアナ州クリントン群。
年代と地理こそ明確に示されているものの、物語はピンホールカメラで撮った写真のようにぼやけている。
何かが写っていることはわかるが、それが、兄だったのか。孕んでいたのか。黒人だったのか。奴隷だったのか。なぜ殴るのか。娘ではなく母だったのか。自ら誘惑したのか。誰が殺したのか。息子だったのか。実の娘たちだったのか。どうして死んだのか。誰が誰を愛したのか。どうして殺したか。なぜすぐ殺さなかったか。どうしてすぐ逃げなかったか。
こうした事実は後になって明らかになる。

アメリカ人読者や、そうでなくともアメリカの地理や歴史がちゃんと頭に入っていてそれをすぐに引き出せる人が読めば、当時インディアナ州からケンタッキー州の農家へ14歳で嫁ぐということの意味がすぐわかったのかもしれない、私は語り手と同じようにそれがどういうことなのかよくわからなかった。知識として知ってはいてもこのどこか幻想的ですらある物語に結びつかなくて、徐々に理解した。
ルイヴィルが奴隷市場の中心地だったことも、オハイオ川が北部の自由州と南部の奴隷州の境界線であったことも、読み終えてから認識した。
彼女たち姉妹の肌の色と身分に気が付いたのも物語がだいぶ終わりに近づいてからだった。

暗澹とした過去の記憶の中で「君は内から光のようなものを発していて、そのかがやきがすばらしいと思う」という愛の言葉がいっそう輝く
鬼の行為と優しさの対比


今までにない読書体験を得られた1冊だった

2016年4月7日木曜日

僕たち私たちのくにくに

歌川国芳「相馬の古内裏に将門の姫君滝夜叉妖術を以て味方を集むる」

Bunkamuraでやっているボストン美術館所蔵の浮世絵展、その名も"俺たちの国芳 わたしの国貞"に先日行ってきた。 

展示タイトルと「幕末の浮世絵両雄(ツートップ)が渋谷で激突(マッチアップ)」とかいうコピーを見てイキってんなと思っていたけれど、そのイキリっぷりがむしろ面白かった。
 国芳は男衆が好みそうな戦記物のヒーロー画を描くことが多く、国貞は美人画やアイドル役者を多く描いたことからこのタイトルになったようだ。

 現代は、画像検索ですぐさまヴィジュアルを手に入れることができる。 
インターネットはおろかテレビも雑誌もない江戸時代に、浮世絵こそが最新のエンタメや流行のファッションを世に伝播するメディアで、好きなカブキスターのブロマイド写真だったんだ…ということを改めて感じることのできる展示だった。 

作品数的にもかなり見応えがあるし、趣向を凝らしてキャッチーな展示会に仕上げているので、浮世絵にさほど興味がなくとも行ったら面白いと思う。いきなりプロジェクションマッピングとかやってて猫がぴょんぴょんしている。 

いくつかの章立てをして作品を紹介していたのだが、
・髑髏彫物伊達男/スカル&タトゥー・クールガイ
・物怪退治英雄譚/モンスターハンター&ヒーロー
・畏怖大海原/ホラー・オブ・ウォーター
・異世界魑魅魍魎/ゴースト&ファントム
・天下無双武者絵/サムライウォリアー
・三角関係世話物/トライアングル・オブ・ラブ
・千両役者揃続絵/カブキスター・コレクション
・楽屋裏素顔夢想/オフステージ
・痛快機知娯楽絵/ザッツ・エンターテインメント
・滑稽面白相/ファニー・ピープル
・今様江戸女子姿/エドガールズ・コレクション
・四季行楽案内図/フォーシーズン・レジャーガイド
・当世艶姿考/アデモード・スタイル
とめちゃくちゃなカタカナのルビをふっていた。 
魑魅魍魎の魑魅魍魎感ってすごい、ゴーストやファントムでは追いつかない。 

何となく西尾維新の小説を思い出した。 
愚礼礼賛(シームレスバイアス)みたいなやつです
自殺志願(マインドレンデル)…おお我が中二病 

それはさておき。
歌川国芳「荷宝蔵壁のむだ書」
国芳の描くフニャフニャのむだ書きやファニーピープル、いわゆる戯画がめっちゃ面白かった。
バカ…笑という感じで江戸時代の人を身近に感じた
天保の改革で風紀を乱す役者絵や美人画を描くことが禁止されてしまったからこういうふざけた絵を描いたらしいんですけど

江戸時代の人も高級遊女の浮世絵を見て「二次元の女萌え…」とか思っていたのかな。

アニメの女は目が大きすぎるとか言うけれど、浮世絵の女も顔も鼻も長すぎるという感じがする。
おお藍摺の中の唇の紅の色よ
江戸の女性のファッションも面白い。いい模様。

ところで国芳も国貞も春画をめっちゃ描いているんですけど国貞の方が変態だ…という感じがする。

今回展示されているわけではないけれど、ボストン美術館はかなり所蔵しているはず。

くにくに展は6/5まで。まあまあ混んでいたし、会期早めに行くことをおすすめします。
江戸時代から何が好き?

もうすぐ上野の東京都美術館で若冲展が始まるから、それも行きたいな。

MIHO MUSEUMの館長監修とのこと
この展示が始まるより先にMIHO MUSEUMへ行ってしまうかもしれない!