2016年12月30日金曜日

2016 ART

1月
フォスター+パートナーズ展:都市と建築のイノベーション@森美術館
ロロ いつ高シリーズvol.2 『校舎、ナイトクルージング』@横浜STスポット
祖父江慎+コズフィッシュ展:ブックデザイ@日比谷図書館
DOMANI・明日展@国立新美術館
奥山由之写真展『BACON ICE CREAM』@渋谷パルコミュージアム

2月
リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展@Bunkamura
物・理@台北市美術館
村上隆のスーパーフラット・コレクション―蕭白、魯山人からキーファーまで―@横浜美術館
明日のアー『ふたりのアー+』@神楽坂セッションハウス

3月
公開句会・大東京マッハ“窓からの家出を花のせいにする”@紀伊國屋サザンシアター
PARIS オートクチュール―世界に一つだけの服@三菱一号館美術館
サイモン・フジワラ“White Day”@オペラシティアートギャラリー
THE TOMATO PROJECT 25TH ANNIVERSARY EXHIBITION“O”@渋谷パルコミュージアム
OUTBOX エンキ・ビラル展@新宿ルミネゼロ

4月
HINTO“トウキョーマンスリーライブ ~新しい街~”@町田Nutty's
ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞@Bunkamura
かざり―信仰と祭りのエネルギー@MIHO MUSEUM
オーダーメイド:それぞれの展覧会@京都国立近代美術館
木村伊兵衛写真展 パリ残像@美術館「えき」KYOTO
六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声@森美術館
美少女戦士セーラームーン展@六本木ヒルズ
マームとジプシー『カタチノチガウ』@新宿ルミネゼロ

5月
“Volez, Voguez, Voyagez - Louis Vuitton”@紀尾井町特設会場
Shining in your eyes@Gallery 916
椿会展2016 -初心-@資生堂ギャラリー
人造乙女美術館@銀座ヴァニラ画廊
REVALUE NIPPON PROJECT 中田英寿が出会った日本工芸@パナソニック汐留ミュージアム
富士ゼロックス版画コレクション×横浜美術館 複製技術と美術家たち―ピカソからウォーホルまで@横浜美術館
日伊国交樹立150周年記念 カラヴァッジョ展@国立西洋美術館
浅井健一 『FRED & SUSAN』@新宿B GALLERY
ロロ『あなたがいなかった頃の物語といなくなってからの物語』@芸劇シアターイースト
MOTアニュアル2016 キセイノセイキ@東京都現代美術館
OOO!vol.5@新宿JAM

6月
MIYAKE ISSEY展:三宅一生の仕事@国立新美術館
オノ・ヨーコ『見えない花』@渋谷ヒカリエの小山登美夫ギャラリー
池内美術伍拾周年 レントゲンヴェルケ廿伍周年記念合同展:半 肆半@青山スパイラル
園子温『ひそひそ星』@ワタリウム美術館
みんな、うちのコレクションです@原美術館
オノ・ヨーコ『硝子の角』@千駄ヶ谷の小山登美夫ギャラリー
ポンピドゥー・センター傑作展―ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで―@東京都美術館

7月
12 Rooms 12 Artists –UBSアート・コレクションより@東京ステーションギャラリー
インターメディアテク
束芋×森下真樹 映像芝居『錆から出た実』@芸劇
カルロス・アイエスタ+ギョーム・ブレッション写真展『Retrace our Steps―ある日人々が消えた街』@シャネル・ネクサス・ホール
文字の博覧会 旅して集めた“みんぱく”中西コレクション展@LIXILギャラリー
菊池敏正『対峙する客体 -形態の調和と造形-』@POLA MUSEUM ANNEX
銀座の奥野ビル
2016 World Graffiti Arts Exhibition in Daiba featuring BANKSY@お台場GALLERY21
Bjork Digital 音楽のVR・18日間の実験@日本科学未来館
サイ・トゥオンブリーの写真 変奏のリリシズム@DIC川村記念美術館
Fuji Rock Festival 2016@苗場
鉄道美術館@川崎市岡本太郎美術館
開館90周年記念展 木々との対話 再生をめぐる5つの風景@東京都美術館

8月
開発好明『中2病』@市原湖畔美術館
宇宙と芸術展:かぐや姫、ダ・ヴィンチ、チームラボ@森美術館
涌井智仁『nonno』@渋谷ヒカリエの小山登美夫ギャラリー
ホステス・クラブ・オールナイター@幕張メッセ
Summer Sonic 2016@幕張メッセ
House Vision 2016@青海
川内倫子『The Rain of Blessing』@Gallery 916

9月
アンドレ・ブルトン没後50年記念展@シス書房
杉本博司 ロスト・ヒューマン@東京都写真美術館
レン・ハン『東京』@matchbaco
「ウルトラ植物博覧会2016」西畠清順と愉快な植物たち@POLA MUSEUM ANNEX
トーマス・ルフ展@東京都国立近代美術館
UBC人類学博物館@バンクーバー

10月
オランダのモダン・デザイン リートフェルト/ブルーナ/ADO@オペラシティアートギャラリー
Farm Party@渋谷Ruby Room
“シン・モスラ” 廣瀬真理子とパープルヘイズ@新宿pit in
ダリ展@国立新美術館
あざみ野コンテンポラリーvol.7『悪い予感のかけらもないさ』展@横浜市民ギャラリーあざみ野
ピエール・アレシンスキー展@Bunkamura
Chim↑Pom『「また明日も観てくれるかな?」~So see you again tomorrow,too?~』@歌舞伎町のビル
Blonde Redhead@Billboard Live Tokyo
イデビアン・クルー『シカク』@にしすがも創造舎

11月
BODY/PLAY/POLITICS@横浜美術館
柳幸典『ワンダリング・ポジション』@横浜BankART
クリスチャン・ボルタンスキー『アニミタス-さざめく亡霊たち』@東京都庭園美術館
ロロいつ高シリーズVol.3『すれちがう、渡り廊下の距離って』@横浜STスポット
串田和美『メトロポリス』@渋谷シアターコクーン
モードとインテリアの20世紀 —ポワレからシャネル、サンローランまで—モードとインテリア@パナソニック汐留ミュージアム
デイヴィッド・ホックニー版画展@町田版画美術館
トラフ展 インサイド・アウト@ギャラリー間
2UP@幡ヶ谷forest limit
group_inou『PUT release tour』@渋谷WWW X

12月
images of Beauty―さまざまな美しさのかたち―@青山スパイラル
DECEMBER'S CHILDREN スパルタローカルズ他@赤坂Blitz
世界遺産ラスコー展~クロマニョン人が残した洞窟壁画~@国立科学博物館
画と機 山本耀司・朝倉優佳@オペラシティアートギャラリー
クラーナハ 500年後の誘惑@国立西洋美術館
戦後のドイツ映画ポスター展@フィルムセンター
WASHI 紙のみぞ知る用と美展@LIXILギャラリー
Mon YVES SAINT LAURENT@POLA MUSEUM ANNEX
続・かんらん舎(1980-1993)@ギャラリー小柳
榎本了壱コーカイ記@ggg
Les Parfums Japonais ―香りの意匠、100年の歩み―@資生堂ギャラリー
曖昧な関係@メゾンエルメス
marimekko展@Bunkamura
SAL - Dance and Music Installation - By Ella Rothschild and Mirai Moriyama@スパイラルガーデン

2016 COMIC

1月
『サイレーン』山崎紗也夏
『昭和元禄落語心中』雲田はるこ
『リメイク』六多いくみ
『娘の家出』志村貴子
『WHITE NOTE PAD』ヤマシタトモコ
『こいいじ』志村貴子
『薫りの継承』中村明日美子

2月
『さよならガールフレンド』高野雀

3月
『めめんと森』ふみふみこ
『波よ聞いてくれ』沙村広明

4月
『ぼくらのへんたい』ふみふみこ
『女子BL』
『恋と軍艦』西炯子
『ユーガッタラブソング』鳥飼茜

5月
『娘の家出』志村貴子
『新世紀エヴァンゲリヲン』貞本義行
『累』松浦だるま
『東京タラレバ娘』東村アキコ
『奥田民生になりたいボーイと人生狂わせるガール』渋谷直角

6月
『逃げるは恥だが役に立つ』海野つなみ

7月
『こいいじ』志村貴子

8月
『春の呪い』小西明日翔
『バーナード嬢曰く。』施川ユウキ
『コペルニクスの呼吸』中村明日美子
『第七女子会彷徨』つばな

9月
『hなhとa子の呪い』中野でいち
『推しが武道館いってくれたら死ぬ』平尾アウリ
『低反発リビドー』高野雀
『おにいさまへ…』池田理代子
『東京タラレバ娘』東村アキコ
『バベルの図書館』つばな

10月
『3月のライオン』羽海野チカ
『ぼくは麻理のなか』押見修造
『31歳BLマンガ家が婚活するとこうなる』御手洗直子
『逃げるは恥だが役に立つ』 海野つなみ
『娘の家出』志村貴子
『花井沢町公民館便り』ヤマシタトモコ
『ハーレムエンド』駕籠真太郎
『推しが武道館いってくれたら死ぬ』 平尾アウリ
『フラクション』駕籠真太郎

11月
『先生の白い嘘』鳥飼茜
『波よ聞いてくれ』沙村広明

12月
『A子さんの恋人』近藤聡乃
『ベアゲルター』沙村広明
『こいいじ』志村貴子
『パリ、愛してるぜ~』じゃんぽ~る西
『累』松浦だるま

今年読んだ漫画でウオーと思ったものを5作品挙げるなら
『第七女子会彷徨』(完結)
『推しが武道館いってくれたら死ぬ』
『花井沢町公民館便り』(完結)
『先生の白い嘘』
『A子さんの恋人』
(志村貴子や沙村広明の連載中の作品はもう殿堂入りとして…)

2016 BOOK

1月
『英子の森』松田青子
『ボーイミーツガールの極端なもの』山崎ナオコーラ
『火花』又吉直樹

2月
『月曜日は最悪だってみんなは言うけれど』村上春樹
『たましいのふたりごと』川上未映子・穂村弘
『アートは資本主義の行方を予測する』山本豊津

3月
『愛のようだ』長嶋有
『ブラームスはお好き』フランソワーズ・サガン
『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』会田誠
『独りでいるより優しくて』イーユン・リー

4月
『デブを捨てに』平山夢明
『優しい鬼』レアード・ハント
『消滅世界』村田沙耶香

5月
『紙の動物園』ケン・リュウ
『かわいい夫』山崎ナオコーラ
『パトロネ』藤野可織
『楽しい夜』岸本佐知子
『コンビニ人間』村田沙耶香

6月
『我々の恋愛』いとうせいこう
『服従』ミシェル・ウエルベック
『この世にたやすい仕事はない』津村記久子
『『罪と罰』を読まない』岸本佐知子他

7月
『地図と領土』ミシェル・ウエルベック
『京都ぎらい』井上章一
『無意味の祝祭』ミラン・クンデラ

8月
『文学ムック たべるのがおそい vol.1』
『バンクーバーはなぜ世界一住みやすい都市なのか』香川貴志
『赤と黒』スタンダール
『素粒子』ミシェル・ウェルベック
『村に火をつけ、白痴になれ』栗原康

9月
『道徳の時間 / 園児の血』前田司郎
『今を生き抜くための70年代オカルト』前田亮一

10月
『若者はみな悲しい』フィッツジェラルド
『超男性』アルフレッド・ジャリ
『ナイルパーチの女子会』柚木麻子

11月
『ユビュ王』アルフレッド・ジャリ
『超男性ジャリ』ラシルド
『こんがり、パン』おいしい文藝

12月
『ナジャ』アンドレ・ブルトン
『ラスコーの壁画』ジョルジュ・バタイユ
『あなたを選んでくれるもの』ミランダ・ジュライ
『永い言い訳』西川美和


今年読んだ中から5冊選ぶなら
村田沙耶香の『消滅世界』
イーユン・リーの『独りでいるより優しくて』
レアード・ハントの『優しい鬼』
ケン・リュウの『紙の動物園』
栗原康の『村に火をつけ、白痴になれ』

2016 MOVIE

1月
『バクマン』
『ストレイト・アウタ・コンプトン』@渋谷シネクイント
『ナイトクローラー』
『WE ARE Perfume -WORLD TOUR 3rd DOCUMENT』

2月
『夏をゆく人々』
『囚われた女』@アンスティチュ・フランセ
『マイ・インターン』
『ベイビー・オブ・マコン』
『David Bowie is』

3月
『キャロル』@日本橋TOHOシネマズ
『キングスマン』
『SOMEWHERE』
『トレインスポッティング』@渋谷シネクイント

4月
La Planète sauvage』
『エデンより彼方に』
『アナザー・カントリー』
『サウルの息子』

5月
『ウィークエンド』

6月
『サグラダファミリア 創造と神秘』
『恋する惑星』@早稲田松竹
『天使の涙』@早稲田松竹
『プロスペローの本』
『裸足の季節』@シネスイッチ銀座

7月
『黒猫・白猫』
『クリーピー』@丸の内ピカデリー
『もらとりあむタマ子』
『リリーのすべて』
『ルーム』

8月
『地獄でなぜ悪い』
『シン・ゴジラ』
『ハイ・ライズ』@渋谷ヒューマントラストシネマ
『ラスト・タンゴ』@渋谷ル・シネマ
『ヒメアノ〜ル』
『ブルックリン』

9月
『はじまりはヒップホップ』@銀座シネスイッチ
『帰ってきたヒトラー』
『ディストラクションベイビーズ』
『シング・ストリート 未来へのうた』
『ハリー・ポッターと謎のプリンス』
『殿、利息でござる!』
『クリード チャンプを継ぐ男』

10月
『無伴奏』
『17歳』
『怒り』@109シネマズ港北

11月
『神のゆらぎ』
『シモーヌ・バルべス、あるいは淑徳』@アンスティチュ・フランセ
『ピアニスト』
『湾生回家』@岩波ホール
『Fúsi』

12月
『グッバイ・サマー』
ユーリー・ノルシュテイン特集@渋谷イメージフォーラム


今年日本で公開された映画の中から5本選ぶなら
『キャロル』
『ロブスター』
『FAKE』
『帰ってきたヒトラー』
『怒り』


2016年9月17日土曜日

Aujourd'hui le monde est mort


早く世界が滅亡しますように。

そんなことを呟く人だって、本当に世界が滅亡してほしいわけじゃないと思う。

いや滅亡してほしいという願いの気持ちはリアルなんだけど、滅亡の部分にリアリティはないというか。
自分が消えてなくなってしまいたいという気持ちに世界を巻き込んでいるだけ、
ありがちな絶望を端的な言葉で表しているだけ。

それにしても世界の終わりという重々しい言葉が、それを名前にしたバンドが流行って人口に膾炙しているのってちょっと面白い。ポップに省略されてそれ本来の意味から離れてただのバンド名として気軽に口にされている。せかおわ。

今日、世界は終わっちゃいました。もしかしたら昨日かもしれないんですけど。
そんな感じがする。

世界の終わりがそこで見てるよと紅茶飲み干して君は静かに待つ?

世界の終わりを願ってもしょうがない、そんなことは現実逃避に過ぎないということはわかっている。
この世を壊したって~一番ダメな自分は残るぜ~とオーケンも歌っている。

そんな願いに呼応あるいは警告するかのような、ありとあらゆる世界の終わりを提示する展示、“杉本博司:ロストヒューマン”を観てきた。



“今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない”

この印象的なフレーズとそれに続く様々な職業の最後の人類による遺書のテクスト、杉本自身の作品に加え、杉本の蒐集したコレクション(化石、古美術、歴史的な資料など)などによって構成される文明の廃墟のインスタレーション。

パリのパレ・ド・トーキョーで行われた“Aujourd'hui le monde est mort [Lost Human Genetic Archive]”という展示の東京バージョンだという。
直訳するなら、“今日、世界は死んだ[失われた人類の遺伝子保管場所]”みたいな感じかな。
この展示を東京で観ることができて嬉しい。

写真美術館のような、基本的に写真の展示を目的とした展示空間(しかもリニューアルオープン仕立てで新しく綺麗な)にはあまり似合わない展示内容なのではないかと思っていたが、その予想を覆して継ぎ接ぎしたトタン壁で構成された空間は、鑑賞者を彷徨わせ、様々な文明の終焉に想いを馳せる廃墟の空間と化していた。

展示は杉本の代表作の《海景》から始まる。
「太陽系の第3惑星地球には大量の水が存在し、5億5千万年ほど前から水中での有機物による爆発的な生命現象の連鎖が始まった。生命は人類にまで進化し、今回の2万年程の間氷期の間に文明の発生を見た。しかし様々な困難により文明は衰退し、そしてそこに残されたのは文明の廃墟だった。」
ただ海がずっとあるということを写真に撮るとこんな感じで、文章にするとそんな感じか

この展示の面白いところは、杉本の考える様々なこの世の終わりのシナリオが、様々な職業の人物の肉筆によって代筆され、掲示されているところだ。
作品リストに加え、代筆者のリストもあった。

リストの頭には杉本による『肉筆考』が記されている。
“肉筆は字面の姿の上に、その文意以外の読み取る徴を宿している。”
だからこそ
“文明の終わりは肉筆で書かれねばならない。文明が終わる時こそ、その始原の姿が現れるのだ。”

ちょっとわかる。
よく知っていると思っている人の肉筆を知らなかったりする。
時々Twitterが全部肉筆だったら、という想像をたまにする。

肉筆で様々な職業の人物が世界の終わりを物語る。
例えば、人類最後のコンテンポラリー・アーティストはこう語る。
「今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。
後期資本主義時代に世界が入ると、アートは金融投機商品として、株や国債よりも高利回りとなり人気が沸騰した。若者達はみなアーティストになりたがり、作品の売れない大量のアーティスト難民が出現した。
ある日突然、アンディー・ウォーホルの相場が暴落した。
キャンベルスープ缶の絵は本物のスープ缶より安くなってしまった、そして世界金融恐慌が始まった。
瞬く間に世界金融市場は崩壊し、世界は滅んでしまった。
アートが世界滅亡の引き金を引いた事に誇りを持って私は死ぬ。
世界はアートによって始まったのだから、アートが終わらせるのが筋だろう。」
このテクストと共にキャンベルスープ缶が1カートン展示されていた。
これをロバート・キャンベルさんが書いているというのも可笑しい。
難しい漢字も上手で感心した。

アーティストだけでなく人類最後の美術史家もいた。
「現代になって、人は表現する対象を失ってしまった。自然への畏怖や神の姿、いや、美そのものが陳腐化してしまったのだ。すべての芸術はパロディー化してしまった。
私は美術史に携わる学者として、芸術の終焉に立ち会えたことに喜びを感じる。アートのない人類なんて、信者のいない神のようなものだ。」
この言葉が今回の展示を観ている間、自分の中で響いていた。すべての芸術はパロディー…アートのない人類なんて、信者のいない神…

人だけでなく人形の物語もあった。
一列に並んでこちらを見ている文楽人形の生首がカクカク動いたり、バービー人形とか後を引く気味の悪さがあった。
大量に敷き詰められた卒塔婆とレンチドールの妙な目つきが忘れられない。

アンジェという名のラブドールもいた。
「今日、世界は死んじゃいました。もしかしたら昨日かもしれないんですけど。
私は男に愛されるためだけに生まれてきました。私の名前はラブドール・アンジェ。
女の社会進出は果てしなく広がり、大統領や財閥経営者などの要職はほとんど女という、女尊男卑社会が生れました。男は女に性的な魅力を感じなくなり、対女性萎縮症候群と呼ばれる症状を示しました。
男は性的対象を理想化したラブドールに求め、私のようなかわいい、生身肌のラブドールが生まれたのです。
滝の写真とガス灯を持って来た老人が、私を最後に愛してくれた人でした。
でも、ごめんなさい、私達は不妊症。そして、この世に、人は生まれなくなったのです。」

何となく『この世界には有機人形がいる』という漫画の世界観を思い出した。

すごく独特なフォントのような束芋の肉筆が印象的。前に個展で肉筆の文章を見た時はここまで独特な字ではなかったような気がするので人間ではない者が書いた文章としての役作り(?)かな。すごく素敵な字でした。
テキストの上にはマン・レイによるマルセル・デュシャンのポートレイトが飾られていた。
パリの覗き部屋のような窓から小さな部屋を覗くと、横たえられた美しいラブドール(オリエント工業のアンジェという製品)、後ろの壁には杉本博司の《ジオラマ》。
デュシャンの遺作、《落下する水、照明用ガス、が与えられたとせよ》のオマージュかもしれない。

ちなみにデュシャンは生前から自分の墓碑銘を考えていて、その言葉は実際に彼の墓に刻まれているという。
「そして死ぬのはいつも他人」

5月に銀座のヴァニラ画廊でやっていた人造乙女博覧会という展示を観に行った。
その時初めてラブドールの肌に触れた。おっぱいより二の腕より太ももより、足の指の触り心地がヤバくてなんというか…えも言われぬ心地良さがあった。
最近のラブドールはオプションで肌の下に透ける血管のメイクまでしてくれるらしい。視線も動くという。

さて、文明の終わりを見届ける建築家、これは絶対にいると思いながら展示を観ていたのですがやはりありました。
代筆者が磯崎新だったんだけど、自分が考える文明としての建築の終わりのヴィジョンについての文章を、それを作ってきたと言っても過言ではない磯崎新に代筆させるのってめちゃめちゃ緊張するな…と思った。
他の代筆者は必ずしも本人の職業と一致する文章を書いていたわけじゃないので気になった。

すごく印象的だったのが、“耽美主義者”のコーナーにあたジャック=ファビアン・ゴーティエ・ダゴティの解剖実験の絵。
女性の背中が花開くように切り開かれ、血と肉と骨が覗いている。その姿はむしろ艶めかしささえ感じさせ、大変グロテスクな表現なのに思わず見惚れてしまう。
以前、森美術館で行われた医学と芸術展で、ダゴティの授乳している裸婦の子宮断面図や妊婦の解剖図などを観て「エロ漫画の断面図表現って昔から需要があったんだな~」と思った。
医学の名の元に秘かに追及されてきた人間の暗い欲望、白い女性の肌を切り開いてその中身を見たいという強い欲求を可視化したような解剖図に、文明の破滅も忘れて魅せられてしまった。リアルなふたなり絵もあったよ。


上に挙げた以外にも
・人は根源的に人を殺したい、人間は理想という名のもとにおいてはどんな惨たらしいことでもする、理想主義と理想主義の殺し合いで滅ぶ世界(硫黄島より見つかったジャップ・ハンティング・ライセンスの展示と共に)

急に隕石が地球に激突して原発が破壊され放射能にまみれ滅亡する世界(様々な実際にこれまで地球に落ちてきた隕石の展示と共に)

突如として若い男性の性欲がなくなり勃起不全になり女性はパニックに陥り高齢者の生殖能力回復薬に望みが託されるも結局は滅亡する世界(牛乳箱に入った大量のバイアグラの展示と共に)

太陽系が宇宙空間に存在する電磁嵐帯に突入し世界中のコンピューターと電子機器が使用不能になりすべての交通と通信の手段が途絶えすべての生産と流通が止まり人類が餓死する世界(マッキントッシュSEの展示と共に)

遺伝子操作と胎児診断の技術が発達しIQ200以下の子供は出生させていはいけないことにした結果、人類が聡明になりすぎて虚無感に苛まれ経済活動も委縮、滅亡していく世界

・安楽死が推奨され、得も言われぬ幸福感に満たされて死ぬことのできるLSDの供与や、安楽死協会製作のプロモーションビデオ「死ぬ程気持ちよいことはない」の効果により、死の悦楽は人の心を捉え、そして誰もいないくなる世界(30分に1回、Aujourd'hui le monde est mortと喋るオウムの剥製の展示と共に)

などなど様々な文明の廃墟が展示されていた。
それぞれのシナリオは、どこかで聞いたことがあるような、既に小説や映画や時には現実においても語られてきたような話が多いけれど、その世界観に没入した状態で展示品を鑑賞するという面白い体験となっていたと思う。どのテクストの結びの文章が印象的だった。諦念、恐怖、後悔、絶望、喜び、疑問…

33の世界の終わりのシナリオに打ちのめされ、ありとあらゆる方法で世界が終わったと感じた後、下の階の展示室へ行くと、そこには何も映っていない廃墟と化した映画館の写真が暗闇の中でぼうっと浮かびあがっていた。
世界初公開の《廃墟劇場》という作品。
《劇場》というシリーズは1970年代から制作していて、私も概要は知っていた。
廃墟と化したアメリカ各地の映画館で、8×10の大判カメラを用いて上映1本分の光量で長時間露光し、驚くほど精緻な仕上がりのプリントをする。
何も映っていないかのように見える白いスクリーンは、時間と光の記録であり、物語のシーンの集積なのだ。
なんかそれってすごく人生っぽいなと思う。
私は映画館で映画を観るのが好きだ。映画館で観ないのであればそれは映画を観たとは言えないと思う。ストーリーの把握ってやつだ。あと人間は根源的に暗がりで明るい光を見つめるということが好きだと思う。だから映画館はなくならないで欲しい。できればみんなで映画を観たい。
だからこの《廃墟劇場》の写真を観ると、これまで観てきた映画のことを考えて時間の多層さみたいなものについても考えて処理がしきれずにぼうっとなってしまう、それでなんかすごく「人生…」という気持ちになるのだ。気がつくと映画館は廃墟になっている。

写真の撮影時に上映した映画についての作家の解説文が床に照らすように掲示してあって、まるで映画のスクリーンが発する影のようだった。

今回の展示で繰り返し用いられている「今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない」というフレーズは、『異邦人』の冒頭「今日、ママンが死んだ、もしかすると昨日かもしれない」から取ったらしい。
世界が終わるときって、今日突然終わるとかじゃなくて、ある日突然「いつからかわからないがもう世界が終わっている事に気づく」んだろうな、と妙に納得をした。彼氏と別れる時とかもそうだし、きっと終わりってそういうもんなんだろう。

ふと、展示室を対角に仕切った壁の向こうに何か違う世界があると気づいて足を踏み入れたら、無数の仏像の写真が飾られていてびっくりした。あの世に来ちゃったかと思った。
新作の《仏の海》というインスタレーションだった。
勿論この光景は知っている。京都の三十三間堂の千手観音だ。実際に観たこともある。
仏像を見るということは信仰のほとんど失せてしまった現代人にとってはどのような体験なのだろうか。
ということがテーマの一つであるらしい。
私も無宗教だけど、世界が終わったら案外すがっちゃうかもしれない、仏。と思わせる迫力がありました。

世界の終焉について考えながら展示室を出て来たら、下の階では世界報道写真展をやっていると知って「現実じゃん…」となった。報道写真展、毎年観ているが、なんだかロストヒューマン展の後に観る気にはなれなかった。10/23までやっているのでまたで良かろう。

展示室内は廃虚と終焉の様相を呈していたが、リニューアルオープンした東京都写真美術館は、白くて明るかった。
改修のため閉館する前は、東京の美術館の中でもよく行くところトップ5に入っていた場所なので感慨深かった。
今後の展示も面白そう、年末にアピチャッポン・ウィーラセタクンとか。
1階に新しく代官山のMAISON ICHIができていたので、今度利用してみたい。
ただいくら推してもTOPという愛称、浸透しなさそう。

杉本博司といえば、建築家の榊田倫之と共に熱海のMOA美術館のロビーと展示室の改修を手がけていると最近知って気になっている。
こちらもリニューアルオープンが待たれる。

2017年に小田原市にできる江之浦測候所も気になっています。
現代建築でありながら古代遺跡のようでもある。


IMAの2016秋号に今回の杉本博司展の特集があり、インタビューやキーワードの解説、杉本の来歴や思考のベースとなっているであろう図書の紹介などがあり、今回の展示の理解を助ける。

「写真」にはいかなるプロタンシオン(未来志向)もない。「写真」の悲壮さやメランコリーはここから来る。
「写真」は停止しているので、そのプレザンタシオン(現示作用)は時間の流れをレタンシオン(過去指向)に変えてしまう、というようなことをロラン・バルトが『明るい部屋』に書いていて、なんだか小難しいけれどようするに思い出はいつも綺麗だけどそれだけじゃお腹がすくわ、ってことでしょ?と適当な解釈をしていたが、それが映画を写真にする杉本の作品と結びつけて書いてあって面白い。

あー世界の終わりかあ。私は終わりに立ち会うのかな。
気がついたらもう終わっているのかも。

明日世界が終わる日に 一緒に過ごす人がいない (穂村弘『求愛瞳孔反射』)

2016年9月12日月曜日

極北の郊外風景

私はあまり昔のことを覚えていられないから、すぐ今が一番うれしい・楽しいと感じてしまう。
その逆もまた然りで、すぐ今が一番つらい・苦しいと感じるので、もっと積み重ねてきた経験というものを活かして正しく現状を認知してくれよと自分に言いたくなる。

毎年夏は終わる。私は夏が終わると一つ歳を取る。秋は大人の始まりだ。

誕生日に、誕生日プレゼントを貰った。
今まで貰った誕生日プレゼントで一番うれしい!と思った。もちろん今までだってうれしかった!けど、今が一番うれしい!という気持ち

何を貰ってそんなに嬉しかったかというと、
『Hyper Ballad―Icelandic Suburban Landscapes』
ホンマタカシが90年代のアイスランドの郊外の団地を写した写真集。

ブックデザインはマイク・ミルズ
このタイトルはビョークの曲名から取ったのだろう。
『東京郊外』と同時進行で制作されたものだという。
ずっと欲しかった。

帯欠だけど状態は良いし、付録の撮影ポイントの記されたマップも付いていた。
これを手に入れようと思ったら、大概は元値の数倍の値段で古本を買うしかない。
私が喉から手がでるほど欲しがっていることを知っていて、東京の古本屋を探し回ってプレゼントしてくれたのだと思うと、本当にうれしい。

2年前の冬、初めてアイスランドへ行った。以降、彼の地の虜である。

アイスランドの景色が好き。見渡す限りの火山岩。巨大な滝。あまり木がない。苔がある。
海そして雪山。激しいオーロラの動き。
そういった大自然も好きだし、レイキャヴィークの街並みも好きだ、色が可愛い。
自然とハイセンスなデザインが同居している。
きらびやかなガラスの現代建築の背景に海と雪山が同時に見える。
そこがレイキャヴィーク周辺の他にはない魅力だと思う。

レイキャヴィーク滞在中、郊外のショッピングモールまで歩いて行った。
行く途中、沢山の団地を通り過ぎた。次々と現れる日本の団地にはない配色・デザインに夢中になって写真を撮った。
アルバムを見返すと団地の写真だけで似た様な構図の写真を何枚も撮っている。シャッターの回数は興奮のバロメーターなので…


写真家のホンマタカシがアイスランド郊外の団地を撮った写真集を出していることを知ったのは帰国してから。それからずっと欲しくて探していた。ホンマタカシの建築写真は結構好き。

澄み切った青い空に素敵な色に塗られた団地群。
そこで暮らす人たちのことを考える。
これからはこの写真集をいつでも好きな時に眺めることができる。うれしい~

さて、私が他にも持っているアイスランドの写真集の話がしたい。

1.『Iceland / small world 』Sigurgeir Sigurjonsson

これはアイスランドを旅行した時に、地熱発電所のお土産物屋で買った。
アイスランド国内では有名な写真家のようだけど、国外にはあまり流通していないのかな。
10.5センチ角、手のひらサイズの写真集だけれど、300ページ以上のフルカラーでかなり厚い。
何も無いところにポツンと建っているカラフルな家…
アイスランディックホースのニヒルな笑みも良い。

2.『wonder Iceland』keiko kurita
これは大阪のカロというかわいいブックカフェで見つけて買った。
正方形にトリミングされたインスタグラムみたいなかわいい写真。
アイスランドの日常という感じ。

3.『BIRD』
写真集ではなく旅雑誌だが、この雑誌に載っている写真を見て私はアイスランドに魅せられ、旅に出ることを決めた。
特に印象的だったのは表紙の稲岡有里子という写真家の幻想的な写真。
特集を読んで、ここに行かなきゃと思った。

4.MR-DESIGN / BATH ART
そしてこれは私が風呂に貼っているポスターです。
レイキャヴィークの街並みを市橋織江が撮ったもの。
ハットルグリムスキャルキャ教会から撮ったのだと思う、というかそれ以外に高い建物はないのだ。私も教会へ行き、上へ登って同じ風景を眺めた。
帰国後、あの景色が恋しくなってこのアートピースを買い求めたのだった。

アイスランドは遠い。
初めて行ったとき、ずい分遠くまで来てしまったな…と思った。今までに行った一番遠いところかもしれない。
日本から直通便はないし、行くだけで1日使ってしまうから、なかなか気軽に行けない。
でもまた絶対に行きたい。
心の一部を置いてきたという感じがする…なんて大袈裟な。でも何の縁もゆかりもない地なのに、一度訪れて数日滞在しただけなのに、私の中でつらい時に思い出す心のふるさとのような場所となっている。

それだけの魅力がある国だと思う。

写真集を贈ってくれた人の欲しい本を知った、今度は私がその本を探す旅に出よう。



2016年7月4日月曜日

ぽんぴ

フォントがかわいい

東京都美術館でやっているポンピドゥー・センター傑作展に行った。

その日はよく晴れていて、上野公園には人がたくさんいた。
水で地面に絵を描いているおじさんがいた。
立ち止まって観ていたら話しかけられて、私たちのために次々と絵を描いてくれた。
沢山の絵を描いてスッと立ち去るおじさんの後ろ姿と、乾いて徐々に薄くなり消えてゆくおじさんの描いた絵をちょっと不思議な気持ちで眺めていたら、隣に立っていた知らない男性が「ディズニーランドで働いていたらしいですよ」と突然教えてくれて、「なるほど…」となった。

去年、初めてポンピドゥー・センターに行った。
エスカレーターをどんどん上って、パリの街を眺めた。
ポンピドゥー・センターの隣にも公園というか広場と噴水があって、地面で絵を描いている人がいたなあと思いだす。

ポンピドゥー・センターはレンゾ・ピアノとリチャード・ロージャスという建築家が駆け出しの頃にが設計した建築で、パリの現代建築を語る上で外せない存在と言っても過言ではないと思う。ずっと実際に観てみたいと思っていたので、感動した。
ずっと写真で眺めてあれこれ想像していた建築を実際に目の当たりにするというのは何度経験しても興奮する。生きててよかったレベル。
建物だけでなく、常設のコレクションの質の高さにもくらくらした。
時間があまりなくて半ば小走りで観て回った。

ポンピドゥー・センターの建物の写真をたくさん撮った

今回観た展示はそのポンピドゥー・センターの近現代美術コレクションから、1年ごとに1作家1作品を選び、1906年から1977年のタイムラインを辿るというものだった

作品だけではなく作家のポートレイトと残した言葉が展示されていて、そのためか、一作家につき一点しか作品がなく美術史を駆け足でおさらいするような展示なのに、それぞれの作家の個性が際立つというかそれぞれが印象に残る良い展示だったように思う。

会場構成が斬新というか、普通特に絵画などの平面作品は展示室の壁に掛けられて展示され、鑑賞者は部屋をぐるっと回るわけだけど、今回の展示では展示室の中に仮設の壁を自由に配置して、そこに沿って鑑賞者は動く。
各階はトリコロールで塗り分けられ、1階はまっすぐ、2階はジグザグ、3階は円を描くという構成で、動線的にはどうなのという気もしたけれど面白かった。
会場構成を手掛けたのは建築家の田根剛とのこと。
そういえば前に21_21で観たフランク・ゲーリー展でも彼がディレクターを務めていたなあ。

ピカソ、マティス、デュシャンなど有名な作家の有名な作品が沢山展示されていた。
どれもフランス人かフランスで活躍した作家。
絵画や彫刻に留まらず、建築やデザイン、映画、シャンソンまでも展示されていた。

時々知らない作家の作品もあり、それも面白かった。
一番気になったのは霊媒画家、フルリ=ジョゼフ・クレパンの絵だった。
ひと目見てヤバいと思った。

フルリ=ジョセフ・クレパン《寺院》

「寺院」というタイトルでたしかに左右対称の構図でインド風な寺院らしき建物が描いてあるんだけど、空に幾つも顔?霊?思念体?のようなものが浮かんでいる。良く見ると建物の執拗な描き込みも異様で、ユーモラスでもあるし禍々しくもある。

クレパンの言葉としてこう書いてあった、
私は美術館に行ったこともないしフランスの外に出たこともない。 この歳までデッサンも絵画も習ったことはない。 私は何のために描くのだろうか…」

クレパンについて少し調べた
・フランス人のトタン屋職人
・アール・ブリュットの作家としてアンドレ・ブルトンやジャン・デュビュッフェによって紹介された。
紙をハートの形に切り抜いて病人の患部にのせることで治すという民間療法を行っていた(意味がわからない)
・63歳から絵を描き始めた。ある日ひとりでに手が動きだし絵を描き始めたのだという(意味がわからない)
・ある日突然「300枚絵を描いたら戦争が終わる」というお告げを受けて製作に取り組み始める(スピりすぎ)
・1945年、クレパンが300枚目の絵を描き上げた日、ドイツが降伏した(?!)
・さらに「もう45枚描けば世界全体が平和になる」とお告げを受けたが、43枚を描いて死んでしまった。

他にアール・ブリュットの作家としては、セラフィーヌ・ルイの作品も展示されていた。
彼女もパリ郊外で家政婦として働きながら、40歳を過ぎて守護天使のお告げにより絵を描き始める。今回の展示で初めて絵を観た。錯乱しているのに落ち着いている人…みたいな不思議な迫力がある。
彼女の人生を描いた『セラフィーヌの庭』という映画があるそうなので観てみようかな。

ジャン・デュビュッフェ《騒がしい風景》

アンフォルメルの先駆けであり、アール・ブリュットを提唱したジャン・デュビュッフェの作品も展示されていた。電話中の落書きを元に製作したウルループ。

職業的な作家よりも、アール・ブリュットの作家の方が好きだ。英語で言うところのアウトサイダー・アート。
例えばマリー・ローランサンは綺麗で可愛いけれど、クレパンのような意味不明な絵に惹かれる…と思っていたけれど、ローランサンの言葉を観て少し考えが変わった

「もし私が他の画家と距離を感じているとしたら、画家たちが男性で、それが私にとって解き明かすことができない問題だからです。しかし、たとえ男性たちの才能に脅威を感じても、私は女性的なものすべてに申し分のない心地よさを感じるのです」

たしかにこの時代に女性の作家としてここまで確固たる地位を築いた、それも女性的なものばかりを描いて、ということに気付いたし、自分が女性作家であることの葛藤も伝わってくる。

展覧会の最後にはゴードン・マッタ=クラークの建築に穴を穿つ記録映像やポンピドゥー・センターの模型が展示されていた。

9月までやっている展示なので、ポンピドゥー・センターに行ったことがない人もある人もぜひ