辺りは暗くなり、私たちは何か少し食べたかった。
駅から暗い方へと歩いていたら、陽気な響きのカタカナの名前のお店があった。
お店の中は全く見えなくて、ちょっと入りにくいスナックみたいな店構えのスペイン風居酒屋、勇気を出して入ってみた。
入ってみれば、お店の中もスナックみたいだった。店主らしきおじいさんがスナックみたいなソファの一角に座って、テレビで時代劇を観ていた。やってますか?と思った。おじいさんは私たちが入ってきたせいで少し慌てたように見えたが、どうぞと言われて座った。
壁は、スペインっぽい飾りやポスターなどで覆いつくされていた。
しばらくするとおじいさんがそれまで観ていた時代劇ではなく、いかにもスペインっぽいギターの演奏やフラメンコの映像がテレビで流れ始めたので、スペインの風吹かしてきたなと思って可笑しかった。
なのに箸置きがこれだった。
あなたはスペインですか?私には日本の河童に見える。
鏡が駆使されてどの席にいてもテレビの映像が見えるようになっていたのも面白かった。
メニューを開くと罫線のあるノートに手書きだった。
第一印象として、スペイン風居酒屋なんだからもうちょっとスペインの風を吹かしてもいいのではと思ってしまうようなメニューだった。
今、お店のことが知りたくて「最寄駅の名前、スペイン、居酒屋」で検索してみたら、食べログのレビューが出てきた。私はもう何でも検索してしまうし、何についてもレビューがあることに慣れている。そのレビューのタイトルは
「料理うんぬんじゃない店」
笑ってしまった。同じ感想です。
レビューを読むと、
“そして店主の「おっさん」。
この「おっさん」がこのお店の最重要ファクタです。”
と書いてあり、さらに笑ってしまった。その通りです。
最重要ファクタは頭の一部みたいにキャップをかぶっていて、愛想が良くも悪くもなく、ただそこに存在していた。
私もいつか、ある空間の最重要ファクタになりたい。
今一人で暮らしている自分の部屋だって、最重要ファクタは私ではないと思う。
私がいてもいなくても成立する。
かなり長い間、私たち以外に客は来なかった。
あまりにもスペインの表象に四方を囲まれていたため、「スペインには行ったことがある?」「ガウディの建築をいつか観に行きたい」くらいの浅い会話を一応したりもしていると、ドヤドヤと人が入ってきた。
一目見て「おっさん」の仲間たちだとわかった。
「おっさん」の仲間たちはディープなスペインの話…というよりは「その界隈」の話をしている雰囲気で、時々「フラメンコ」とか「なんとカかんとかスの公演」とか聞こえてきた。
お店は時々フラメンコやギター演奏のライブをしているらしかった。気が付けば「おっさん」も仲間たちに混ざって飲んでいた。
私はスペインについてあまり良く知らない…
行ったことがないし、スペイン人と話をしたこともない。
スペインの映画は時々観る、例えば、アルモドバルとか。
あとガウディ…以上です。
私の知っているスペイン語について少し書く。
私は平日の朝は、7時半から始まるフランス語の勉強のラジオ番組を聴いている。
それまではニュースのチャンネルを聴いていて、7時25分くらいになったら語学番組のチャンネルへと切り替える。フランス語を勉強する番組の前はスペイン語を勉強する番組がやっているので、結果的に毎日5分だけ、終わりだけ、スペイン語の番組も聴くことになる。
番組の最後に大抵スペイン語の先生は明るい声で言う、「アシタマニア〜ナ!」
私はスペイン語について何も知らないが、この明日まにあ〜にゃは「明日また会おうね!」という意味だろうという強い確信があった。だって明日って言ってる。
すぐには意味を検索しなかったが、ある日耐え切れなくなって意味を検索した。
やはりそうだった。アシタマニアーナはそれじゃあまた明日だったのだ。
これでスペイン語の先生に挨拶を返すことができる。
でももっと調べたらアシタがまたという意味でマニアーナが明日という意味だったので私は混乱した。
「おっさん」はきっとスペインが好きで、スペインに行ったことがあるのだろう。私よりスペイン語を知っていると思う。
もしかしたらギターを弾いたりスペインの歌を歌ったりするのが上手いのかもしれない。昔歌手だったのかも。
その界隈の人たちに有名なお店なのかもしれない。
あるいは一度も本当にはスペインに行ったことがないのに、こういうお店をやっているというのも面白いかもしれない。
今、お店の名前の意味が知りたくて、google翻訳先生に訊いてみたところ
「少し友人」
と返ってきたので笑ってしまった。
今はまだ、少し友人。