2016年4月20日水曜日

注文-生産

先日、京都国立近代美術館に初めて行った。



向かいの京都市美術館は朝から行列で
何をやっているのかと思えばなるほどモネとルノだった



3階の展示室へと上がっていく階段と大きな吹き抜け空間が印象的


"オーダーメイド展:それぞれの展覧会"というタイトルの、現代アートの展示をやっていた

何がオーダーメイドなのかというと
「鑑賞者が順路やテーマを選択しながら鑑賞することで、展覧会の見え方が変化するプログラム」とのことで
作品同士がどのように関係づけられ、作品の〈配列=オーダー〉がどのように決定されうるのか
要するに順路を自分で選んでゆく展示ということ
出口は決まっていて入口は2ヶ所あった

といってもワンフロアであるし
もっと入口がたくさんあったらもっと面白かったなと思う

私は階段を登ったところにある入口から観た
これが正規のルートであるらしい


入っていきなりヴォルフガング・ティルマンスのKyoto Installationが展示されていてアガった
去年夏、大阪にティルマンスの展示を観に行った。

この美術館のコレクションの中からキーワードに沿った作品がセレクションされ、区画ごとに展示されていた
キーワードは以下の通り
FRAME
COLOR / MONOCHROME
OBJECT
MONEY
READYMADE
BEYOND ORDER
ID
PLAY
BODY
REORDER
STILL / MOVING
特に目新しいワードはない


全体として観ると少し、雑多な印象は否めなかったが
それでもこの文脈で観る都築響一の着倒れ方丈記は面白かった
時々オットー・クンツリとかレオン・バクストのバレエリュスのための衣装デザインの原画があったりして、この美術館のコレクションの豊富さを知った


クシシュトフ・ヴォディチコのヴィデオ・インスタレーションが面白かった
擦りガラス越しに向こうにいる人の挙動が見える…という映像

"STILL/MOVING"のコーナーにあった、フィオナ・タンの≪揺りかご≫というタイトルの映像作品がSTILLかつMOVINGでとても良かった。
空中に吊るされたハンカチに映写機で投影されたいつかの誰かの記
ハッとしたし、呼び起こされた古い記憶が浮遊しているような気持ちがした


ピピロッティ・リストの≪私の空間に明るみを≫というインスタレーションが良かった
一見すると様々な物や本が置かれた本棚(STILL)
よく見ると浮かぶガラスの半球体、本の表紙に投影された映像(MOVING)

他にもマティスの"Jazz"やピカソの"Still Life"などが展示されていて
なるほど"STILL/MOVING"だった

椅子椅子椅子椅子本本本本

2016年4月19日火曜日

美術館のたのしみ方

①行くまでをたのしむ
美術館に行く前段階として、まずはどこそこの美術館にてこういう展示があるということををインターネットかチラシか人からのおすすめなどで知り、おもしろそう気になる行ってみようと思うわけです。
あの作品が展示されているらしい
作家の誰それの新作が発表される
今漠然と興味を抱いていることがキュレーションのテーマだ
なんとかさんがツイッターで面白かったと言ってた
どんな展示なのかな
よく行く美術館の年間スケジュールが発表された
なんとかの大規模個展だと
チラシのデザインがかわいい
惹句がウケる
などなど、色々あると思いますが、まずはこの前情報に対する感想と期待の気持ちをたのしみます

②道のりをたのしむ
さて、美術館に行く日がきました。
美術館に行こうとするとまず遠くから美術館に近づいて行きますよ
例えば品川駅から歩いて原美術館まで行く時とかのあの感じです
清澄白河駅から歩いて東京都現代美術館に着くまでの間に2つやっている企画展のうちどちらから観るかなどを考えているときもそうです。
電車やバスを乗り継いでちょっと遠くの美術館に行くこともあると思います。
ずっと訪れたかった美術館に初めて行くときはドキドキしますね
この前信楽のMIHO MUSEUMを初めて訪れたのですが、最寄り駅からバスで50分、1時間に1回しかないバスに上手く乗れるか、乗った後もどんどん山奥に入っていくのでドキドキしました。
まずはそのアプローチをたのしみます。

②美術館の外観をたのしむ
美術館に近づくとだんだん建物が見えてきます。
まずはその見えてきた外観を楽しみます。
もちろんパリのポンピドゥーセンターみたいにメトロから地上に出たらいきなりドーンと建っているみたいなこともあると思うんですけど
庭園美術館のようにじわじわとアールデコな建物が見えてくるあの感じです
ちょっと立ち止まって観てみてもいいです
何度も行ったことのある美術館でも、お天気・時間・季節・こちらのエモーションによって表情が異なっています
建物目当てに美術館を訪れることもあります。例えば千葉のホキ美術館などがそうです。
でも誰それが何年に設計したとかは知っててもいいし知らなくてもOK

③美術館の内観をたのしむ
建物に一歩足を踏み入れたときの感じをまずたのしみます。
外観から持っていたイメージとの違い、第一印象などがたのしみポイントです
エントランスホールに気合を入れている美術館は多いと思います。吹き抜けているとか。
あと美術館の中から窓を通して外を見てみる。ここに気合を入れている美術館もいます。
他にも採光の仕方とかサインのデザインとか(トイレこっちですとかのやつです)展示室のレイアウトとか動線とか美術館によって様々な気合入れポイントがあると思うので、そこをたのしみましょう
元々は美術館ではなかったところを展示空間としている美術館もありますね。
例えば富山の発電所美術館とか。発電所のままだったら一生入らなかった空間です。
美術館ではなかったときのことを想像してみるのもたのしいです。

④チケットをたのしむ
美術館に入ったらたいていチケットを買うと思います
チケットの値段を見て改めて「この値段分たのしんでやるぞ、絶対にだ」と決意を新たにします
チラシデザインとほぼ同じの場合もあれば
ちょっと凝っているデザインのもあるし
人によってチケットのデザインが違うこともあります
私は群馬のハラミュージアムアークのチケットのデザインが大好きです。
あと使われている作品は今回の推し作品だと思うのでなんとなく覚えておきます
もちろん推しっていうか有名とか見栄えがいいとかキャッチーとかそういう理由もあるのかなと想像しています
私はチケットに使われている作品を観ると「チケットに使われている作品だ~」と思います
実際観るとこんな感じなのか~というたのしみ方をしています

⑤会場構成をたのしむ
最近は企画展の会場構成を建築家が手掛けていることも多いですね
通い慣れたハコでも会場構成によって全然違って見えてくることがあります。
会場構成は展示が終わってしまえば撤去される、いわばエフェメラな建築の一つであり、後からは会場写真や図面などを通してしか知ることができません。
空間を体験できるのは展示期間中だけです
これはかなりおたのしみポイントかと思います
順路がないタイプの会場構成も時々ありますね
京都国立近代美術館でやっているオーダーメイド展は自分で順路を選ぶ展示でした。

⑥作品をたのしむ
そもそも何をたのしみに来たのかというと展示されている作品をたのしみに来たのでした
たのしみ方は無数にあると思うのですがポイントは

・目の前に実物が存在している
・おそらく鑑賞に最も適した環境が用意されている
 (残念ながらそうではない場合も多いのですが)
・この展示空間は今、この展示期間中しかない
・その空間を他者と共有している

という点にあると思います。
それらを踏まえた上でたのしみポイントをいくつか挙げると

・作品を把握し(コンセプト・素材・手法など)自分なりの評価をする
・作家からのメッセージを(勝手に)受け取る
・提起された問題について自分の立場から考える
・制作当時の歴史あるいは現代社会の流れを知る
・他者の思考の一端に触れる、知らない人の個人的な記憶にアクセスする
・まったく観たことのない光景・事象・モノが観られる

などなど。あと私は以下のようなことを考えながら観ていることもあります。

1個持って帰って自分のものにしても良いと言われたらどれを持ち帰りたいか、家にどう飾るか考える
・作品の値段。なぜ高いか。自分が値段をつけるとすれば。これから売れそうなのは。
・おもしろいものがたくさんならんでいるところをお散歩
・作品あるいは作家を一言で表すキーワード、惹句などを考える
・よくわかんないけどウケる→何がわからないのか。なぜウケるのか
過去に他の場所で観た展示や自分が最近考えていることと今観ている作品を結びつける

⑦写真を撮るというたのしみ方
あと最近では写真を撮ってインターネットにアップすることを奨励するような展示も多いですね。
先日行った森美術館もそうでした。
この作品だけ、このエリアだけ写真OKですという場合もあります。
展示されているブツに対して写真を撮るそれをネットに上げるというアクションを起こすのもたのしみ方の一つとして定着しつつあるのだと思います。
このたのしみ方について否定的にも肯定的にもなれないのは、展示空間におけるふるまいとして完全にダサいあるいは下品と思うのですが写真OKと言われると私もついつい撮ってしまうからです
ヴェネツィア・ビエンナーレに行った時など、気軽に再訪できないということもあり記録もかねて死ぬほど写真を撮りました。
なぜ撮ってしまうのか?なぜ撮ることに全肯定的になれないのか?を考えるのもおたのしみポイントになりつつあります。
ルーヴル美術館に行ったらみんな自撮り棒で作品と自分のツーショットを撮っていてウケました。

⑧ミュージアムショップをたのしむ
展示の図録が売っています。ここで買うと重いですが興奮して買ってしまうこともあります。
他にも最近死ぬほどグッズ展開している展示も数多いですね。
グッズを売るために展示しているのかよと思うこともあります。
Bunkamuraの国貞×国芳展に行ったらグッズ展開に余念が無さ過ぎて笑いました。
どの作品がどのようにグッズに適用されているか?どの作品がキャッチーなのか?
何故こんなグッズの企画が通ってしまったんだろう、売れるのか?
など丹念に見ていくと面白いです。
引き伸ばされても縮小されてもトリミングされてもなんかだせえロゴを入れられてもそれでもなお人に強く訴えかける力がある作品もあるということを知ることもできます
あと実物を観たばかりの余韻の中で小さなポストカードを観ると全然良くないorなんか実物より良くない?これくらいのサイズの方が…というような見方もできて面白いです。
インスタレーション作品は、他の会場で展示された写真を観るのも面白いですね。
美術館のオリジナルグッズをチェックするのもたのしみの一つです
ロゴが入っているだけかよ、というのもあればいい感じのやつもあります。

⑨カフェやレストランをたのしむ
いろいろたのしんで疲れましたね。休憩しましょう。
美術館併設の飲食施設もたのしみの一つです。
レストランは高いのでたまにしか行かないですが、カフェでちょっとお茶はよくします。
美術館の高いレストランといえば1回だけMOMATのラー・エ・ミクニへ行ってフレンチのコースを食べました。
あと国立新美術館の浮いてるレストラン、ブラッスリーポール・ボキューズミュゼにも行ったことがあります。いつもは大体地下の飲食スペースでハヤシライスです。
横須賀美術館のレストランは眺望が最高なのでよく晴れた日におすすめです。
根津美術館の離れのようなカフェはお庭がたのしめます。
MOTのカフェ・ハイのモロッコパイとあずきのチェーが大大大大好き
原美術館のカフェダールはイメージケーキが有名ですが、写真を見て満足してしまって食べたことがありません
三菱一号館美術館のカフェも素敵な空間です、展示がやっていない時期にアフタヌーンティーをやっているそうなので今度行ってみたい。

⑩家でもたのしむ
美術館を出て、家に帰ってもまだたのしめます。
家のソファに座ってゆっくり図録を眺めたり
買ったポストカードを部屋のどこかに飾ってみたり
その作家の著作や作品に関する本を読むのもいいと思います。
また、同じく展示を観た人の感想を検索して読むというたのしみもあります。
自分が感想を書いてみるのも良いです。
関連する展示が同時に他の場所で行われていることも多いので調べてみましょう
次の行きたい美術館が見つかります。

以上、美術館の10のたのしみでした

2016年4月18日月曜日

2016春 京都旅行

信楽のしだれ桜
< 1日目 >

9時、東京駅出発
新幹線の中でサンドイッチを食べる
京都に行くのは5年ぶり10回目くらい

5年前、3.11の後、しばらく京都と神戸に行かされた

11時半、京都駅到着
幼い頃よく乗っていた琵琶湖線に乗って石山駅に行く

途中、ぜぜ駅。Zeze 膳所と書くぜぜ
ぜぜ ぜぜ ぜぜ Zeze 

まだ字が読めない頃、「かたた」という音を覚えていた駅が
「堅田」と書くことを知って少し衝撃
かたたえき

石山は名前が平凡過ぎて記憶に残っていなかった。
だって石と山だぜ

石山駅12時10分発のバス(1時間に1本しかない)に乗っていざ信楽へ

13時過ぎにMIHO MUSEUM、のエントランスに到着。

しだれ桜 長いトンネルを抜けるとそこは 念願のMIHO



展示を観た後、カフェで休憩
16時過ぎのバスで下界へ帰る

17時、京都駅着。
17時半過ぎ、烏丸御池近くの宿にチェックイン

いい宿がとれなくてちょっといいビジネスホテルみたいなところ

夜は錦通りにある築100年の京町家を改造した居酒屋で飲む
チェーン店だけどなかなか良かった
入口がわかりづらく、忍者屋敷のようだった

天然温泉のスパへ行って岩盤浴したり(汗がすごくでた)
ラウンジでビールを飲んだりソーセージを食べたりしてごろごろする。


< 2日目 >



8時、烏丸御池の伊右衛門サロンでお茶漬け朝食を食べる。
真鯛と玉葱を塩昆布で和えて深蒸し煎茶をかけて おいしかった
開店30分前から並んだところ、2番目で予約なしでも入れた。

電車に乗って東山駅へ
駅から小さな川沿いを歩いて岡崎へ

美術館は9時半からでまだ開いていなかったので
前川國男設計の京都会館改め新生ロームシアターに行く
蔦屋書店で時間つぶし



9時半、京都国立近代美術館へ
オーダーメイド展とコレクション展示を観た。

美術館を出て、新しくなった動物園を通り過ぎ、歩いて歩いて銀閣寺方面へ
今思えば途中、ホホホ座に寄ればよかった…
哲学の道を少し歩いた

12時、満を持して、京都で一番予約が取りにくい店で日本一の昼食を食べる。
今回の旅の目的だった
カウンター席でちょっと緊張
摘み立ての草食べた
どこまで食べていいのかわからなくてぜんぶ食べた



私より全然年下であろう新米らしき料理人を観ながら大変な世界なんだろうなあと想像した

なるほど予約が取りにくいシステムだった。常連さん優先
なんとか次の予約を取れてほっとする
日本一かどうか私には判断できないが、今まで食べた昼ご飯で一番豪勢で一番御代金を支払ったのは確か。

昼食というか、演劇を観たみたいな感じがした
演者が話しかけてくるし劇中に作られたものが食べられる
というより我々も演者の一人だった

昼食後、大山崎の山荘美術館へ行く予定だったが、思った以上に昼食に時間がかかり、食べ終えて一息ついて店を出たら15時になろうかという時間だっ
行くならゆっくりしたいし、満腹すぎて動けなかったので断念した

かつて祖母が住んでいたあたりを観に行った
ガケ書房が全然ガケ書房ではない店になっていた

歩いて歩いて京都のカルチェラタン、百万遍へ
京大、進々堂を通り過ぎる
吉田寮の募集の立て看板
「対象:京大生及び京大生と切実な同居の必要性がある者」

高1の時、初めて友達と旅行した。
京大を見に行った、京大に行くつもりだった
理由:一人暮らししたいから東大じゃダメ
ちなみに東大に行く学力は無かった

京大の正門の前で記念写真を撮った気がする
ちなみに京大に行く学力は無かった

四条烏丸のホテルに泊まってあちこち行った
結局二人とも京大には行かなかったが
旅の疲れでお互い機嫌が悪くなり
ちょっと喧嘩っぽくなったような記憶もあるが
良い思い出

歩いて歩いて鴨川デルタまでたどり着く
川は 有象無象の学生にあふれ
電車に乗って三条で降りる

まだ明るい先斗町を歩く
歌舞伎練場

夕方になり、喫茶フランソアへ
混雑していて少しだけ並んだがすぐ入れた
タルトタタンを食べ、珈琲を飲んだ

混雑した四条通りを歩いて歩いて
途中大丸の謎の部分を見つけたりもし
また歩いて歩いて宿に一時帰宅
足の疲労&満腹でしばし休憩



夜、蛸薬師通りにある二匹の豚という意味の名のワインバーで軽く飲む
ヴァン・ナチュールの品揃えが豊富で、壁一面におすすめコメントと生産者の顔写真付きのボトルが並んでいた
パテとパンとチーズをつまみに
ホテルのバーで飲もうかとも思ったが行ってみてよかった
京都の夜は更けてゆく…という感じでよかった


< 3日目 >

7時過ぎにイノダコーヒ本店へ
雨が強く降っていた


モーニングした
アラビアの真珠飲んだ

イノダコーヒ本店の近くにマリベル本店があった
遅く起きたらマリベルでモーニングもよかったかもしれない
mariebelle marieがいる

京都駅へ行って駅の美術館で木村伊兵衛が撮った1950年代のパリの写真を観た
京都は少しパリっぽいと思う

マールブランシェでエッグベネディクトのパンケーキを食べる

花梓侘の手まり寿司弁当を買おうと思ったら、入荷が15時とかで断念…

13時半発の新幹線に乗って東京へ帰った
帰りの新幹線の中でいつかこの旅行を懐かしく思い出して涙することもあるのだろうなと思った



以下、次の京都旅のためのメモ


○次京都に行ったらしたいこと
・たまごサンドを食べる
・おいしいパンを買う(要調査)
・眼鏡を買う
・先斗町で飲む
・良いワインバーをもっと見つける
・AWOMBで寿司バラバラ殺人事件したい
・マリベル本店のモーニング
・伊右衛門カフェでお茶
・叡山電車に乗って北の方へ行く
・さらさ西陣 …タイルが綺麗
・花梓侘の手まり寿司が食べたい

○行きたい場所
・重森三玲の手がけた庭巡り …京大の近くの美術館は要予約
・大山崎山荘美術館 …安藤忠雄の建築
・堂本印象美術館 …金閣寺の方にある 装飾的な建物
・何必館
・純喫茶巡り
・ワインバー巡り
・名前はよく知っている磔磔とかMETROとかに行ってみたい
・ホホホ座

○京都の泊まりたい宿
・クマグスク …ギャラリーに泊まるみたいな感じらしい
・アンテルーム京都 …京都駅より南 おしゃれらしい
・ウサギノネドコ …名前がかわいい
・Oil Streetというゲストハウス
・京はる家なんとかシリーズ

京都の建築マップminiを持ち歩いてそれを見ながら散歩するのがおすすめ

2016年4月14日木曜日

美しい娘

ロシア映画『草原の実験』を観た。

監督はアレクサンドル・コットという人。

この映画は何も説明がない。場所も、時代も、登場人物の人間関係も、どうしてそんなことが起きたのかも。
セリフも一切ない。
だから、様々な解釈が可能だと思う。
英語タイトルは『TEST』らしい。
邦題は少し説明しすぎた。

これから観ようと思う人は、以下に書くことはできれば読まないで観た方がいい。
シンプルで黙示録的な美しい映画で、美しい娘が出てくる。

これくらいの予備知識で観に行くのがいいと思う。

主人公の娘は本当に美しい。
長い髪をリボンと共に三つ編みにしていて、それをそっとほどく所作とか、髪を下ろしているとぐっと大人びてみえる様子とか、首から下げている井戸の鍵を取り出そうとしたときに見えたうなじとか。
子供でも大人でもない境界にいる少女が静かに暮らす様子を淡々と映しているだけで、胸を打つような美しさがあった。

想像もつかないくらい外部と隔絶された暮らし。
娘がライフルを空に向けて撃つと馬に乗った青年がやってくるシーンが良かった

娘に恋をした青年が、映写機を懸命に回して彼女の写真を壁に映し出すシーンも美しい。
エドワード・ヤンの『恐怖分子』を少し思い出した。はためく印画紙。焼きついた彼女のイメージ

美しい娘と無骨な男の二人きりの暮らしを描く様子は何となくキム・ギドクの映画を思い出した(ギドクだったら娘は囚われの身かも)。
あのポツンと生えている木、あれはタルコフスキーの『サクリファイス』へのオマージュと言っても過言ではないだろう。
家の中の光や風の様子も、なんとなくタルコフスキーの映画を思い出した。『ノスタルジア』とか。
そして後半は園子温の『希望の国』を思い出した。

衝撃とされるラストは、邦題とオープニングと劇中の描写を丹念に拾えば想像がつくものの、轟音とその光景には言葉を失った。
荒唐無稽な、と思いかけたが現実に似たようなことが起こったことを思うと何も言えなくなる。

旧ソ連、現在のカザフスタンのクルチャトフにあるセミパラチンスク核実験場
旧ソ連の閉鎖都市の中でも最も機密とされた一つで、核開発の責任者はこのあたり一帯は無人であると偽って核実験を行ったという
クルチャトフという市の名前は、ソ連の核物理学者の名前である。

旧ソ連圏であろうどこか広大な草原が舞台というだけで、別に具体的にセミパラチンスクとの関連性を示すような描写はない。実際に撮影が行われた場所はウクライナらしいし。
観た人の想像に任されている。
父親らしき男は、核施設で働いていたのかもしれない。何も語られないからわからない。
娘の行く手を阻む有刺鉄線を観た時に、実は娘は隔離区域で暮らしていて、密かな人体実験が行われているのかと思ったけれど、逆で、それを越えると実験場なのかもしれない。
父親が途中で娘を車から下ろすのは、被曝を恐れてか。
余所から来たと思われる青い目の青年はどこまで知っているのか。どこに住んでいるのか。それでも恋をしたから娘の元へ通ったのだろうか。

同じ構図や同じことの繰り返しの描写が多く、永遠に続くかと思われた日々の繰り返しのそのわずかな違いに、退屈や外の世界へのあこがれだけではなく、静かな幸福や暮らしの安寧が漂っていたことに、すべてが吹き飛んだ後で気がついた。




2016年4月11日月曜日

Kind One

"むかしわたしは鬼たちの住む場所にくらしていた。わたしも鬼のひとりだった"

レアード・ハントの『優しい鬼』を読んだ。
この物語は、奴隷制が存在した南北戦争以前のケンタッキーの山奥の"楽園"での日々を軸として、過去のことを掘り起こすように、半ば懺悔のように、複数の語り手によって紡がれている。戦争や奴隷問題を描くというよりは、その背景の中で個人の人生に起こったこと、それぞれの語るべき物語を語らせることに終始している。

主人公ともいうべきメインの語り手の声はひらがなが多用されているためやわらかく、幼く、とりとめがない。そのため、その場所で営まれていた常軌を逸した生活もなんだかぼんやりとしかつかめない。複雑な感情を処理しきれていないという感じがする。それでいて残酷で美しい詩のように容赦なくこちらの心に響く。
おぞましい行為の描写を読んでいても、なんだか美しい詩の朗読を聞いているかのような気持ちになって、それが怖かった。

"置き去りにしてきたとおもったすべてのものが、明日と呼べるんじゃないかといまだにおもっていたもののまんなかにテントを張って「こっちだぞぉ」とわめく、そんな日がいつか来る。それで、わたしもここにいる。"
というなんだか読みにくい一節を読んで、悪夢からまだ目が覚めていないことに気付いたときのようにぐらぐらした
全体的にまだ完全には言語化することができていない気持ちを、しかし語るべきときがきたので語らねばならないと無理にでも言葉にしたかのような文章だと思う。

作者のレアード・ハントがこの物語につけた"Kind One"というタイトルを、訳者の柴田元幸は『優しい鬼』と訳した。
"優しい誰か""優しい鬼"ではだいぶ印象が違う。
でも優しい鬼とは誰のことなのか。

彼はすこしも優しくなんかない。ただの鬼だ。力で支配する。
女性を性欲処理の道具としか思っていない。

彼女はどうだろう。奴隷をただの道具として見ていただろうか。
年老いた彼女は自分がかつて鬼であったことを自覚している。だから罰を受け入れたし今でも責めを負い続けている。
それでは"優しい鬼"とは被害者であり加害者でもある彼女のことだろうか。

それでは奴隷として虐げられた彼女たちは、何をしたか。


ずっと"優しい鬼"とは誰のことなのか考えながら読んでいたけれど、読み終えて誰もが"優しい鬼"たりえるのだとわかった。どの語り手も、あるいはこの物語を読んでいる我々も、誰しも""になってしまう可能性がある。あなたもわたしも少しずつ優しいし少しずつ鬼なんだと思う。
実際に同じ人間を、奴隷として使っていた歴史がある。人は簡単に歪むと思う。

ちなみにフランス語では"Les bonnes gens"と訳されているという。
全員鬼で、全員優しい女性たち。

支配され虐げられる者の象徴として豚が描かれている。
"豚は、自分がされていることを知っている。"という短い文章が頭から離れない。


狂った生活を描く中に差し込まれる、虐げられる者が語る空想の物語や、詩のような魔法のような描写にあっけにとられたり魅了されたり不安になったりした。
"あんまり長いこと、あんまり激しくわらうものだから、そのうちなんだか、わらいが父からはなれていってスカートのすそをつまみ上げ固いブーツでテーブルの上にのぼってわたしたちの目のまえで踊ってるみたいな気がした。"

自分を性的に虐げる者の比類なき歌声の美しさを表すのに使われていた、"ひとの背中から皮をはいでべつのひとの背中にはりつける力があった"という表現には目を見張った。


1911年/1850年代/1861年。ケンタッキー州シャーロット群、インディアナ州クリントン群。
年代と地理こそ明確に示されているものの、物語はピンホールカメラで撮った写真のようにぼやけている。
何かが写っていることはわかるが、それが、兄だったのか。孕んでいたのか。黒人だったのか。奴隷だったのか。なぜ殴るのか。娘ではなく母だったのか。自ら誘惑したのか。誰が殺したのか。息子だったのか。実の娘たちだったのか。どうして死んだのか。誰が誰を愛したのか。どうして殺したか。なぜすぐ殺さなかったか。どうしてすぐ逃げなかったか。
こうした事実は後になって明らかになる。

アメリカ人読者や、そうでなくともアメリカの地理や歴史がちゃんと頭に入っていてそれをすぐに引き出せる人が読めば、当時インディアナ州からケンタッキー州の農家へ14歳で嫁ぐということの意味がすぐわかったのかもしれない、私は語り手と同じようにそれがどういうことなのかよくわからなかった。知識として知ってはいてもこのどこか幻想的ですらある物語に結びつかなくて、徐々に理解した。
ルイヴィルが奴隷市場の中心地だったことも、オハイオ川が北部の自由州と南部の奴隷州の境界線であったことも、読み終えてから認識した。
彼女たち姉妹の肌の色と身分に気が付いたのも物語がだいぶ終わりに近づいてからだった。

暗澹とした過去の記憶の中で「君は内から光のようなものを発していて、そのかがやきがすばらしいと思う」という愛の言葉がいっそう輝く
鬼の行為と優しさの対比


今までにない読書体験を得られた1冊だった

2016年4月7日木曜日

僕たち私たちのくにくに

歌川国芳「相馬の古内裏に将門の姫君滝夜叉妖術を以て味方を集むる」

Bunkamuraでやっているボストン美術館所蔵の浮世絵展、その名も"俺たちの国芳 わたしの国貞"に先日行ってきた。 

展示タイトルと「幕末の浮世絵両雄(ツートップ)が渋谷で激突(マッチアップ)」とかいうコピーを見てイキってんなと思っていたけれど、そのイキリっぷりがむしろ面白かった。
 国芳は男衆が好みそうな戦記物のヒーロー画を描くことが多く、国貞は美人画やアイドル役者を多く描いたことからこのタイトルになったようだ。

 現代は、画像検索ですぐさまヴィジュアルを手に入れることができる。 
インターネットはおろかテレビも雑誌もない江戸時代に、浮世絵こそが最新のエンタメや流行のファッションを世に伝播するメディアで、好きなカブキスターのブロマイド写真だったんだ…ということを改めて感じることのできる展示だった。 

作品数的にもかなり見応えがあるし、趣向を凝らしてキャッチーな展示会に仕上げているので、浮世絵にさほど興味がなくとも行ったら面白いと思う。いきなりプロジェクションマッピングとかやってて猫がぴょんぴょんしている。 

いくつかの章立てをして作品を紹介していたのだが、
・髑髏彫物伊達男/スカル&タトゥー・クールガイ
・物怪退治英雄譚/モンスターハンター&ヒーロー
・畏怖大海原/ホラー・オブ・ウォーター
・異世界魑魅魍魎/ゴースト&ファントム
・天下無双武者絵/サムライウォリアー
・三角関係世話物/トライアングル・オブ・ラブ
・千両役者揃続絵/カブキスター・コレクション
・楽屋裏素顔夢想/オフステージ
・痛快機知娯楽絵/ザッツ・エンターテインメント
・滑稽面白相/ファニー・ピープル
・今様江戸女子姿/エドガールズ・コレクション
・四季行楽案内図/フォーシーズン・レジャーガイド
・当世艶姿考/アデモード・スタイル
とめちゃくちゃなカタカナのルビをふっていた。 
魑魅魍魎の魑魅魍魎感ってすごい、ゴーストやファントムでは追いつかない。 

何となく西尾維新の小説を思い出した。 
愚礼礼賛(シームレスバイアス)みたいなやつです
自殺志願(マインドレンデル)…おお我が中二病 

それはさておき。
歌川国芳「荷宝蔵壁のむだ書」
国芳の描くフニャフニャのむだ書きやファニーピープル、いわゆる戯画がめっちゃ面白かった。
バカ…笑という感じで江戸時代の人を身近に感じた
天保の改革で風紀を乱す役者絵や美人画を描くことが禁止されてしまったからこういうふざけた絵を描いたらしいんですけど

江戸時代の人も高級遊女の浮世絵を見て「二次元の女萌え…」とか思っていたのかな。

アニメの女は目が大きすぎるとか言うけれど、浮世絵の女も顔も鼻も長すぎるという感じがする。
おお藍摺の中の唇の紅の色よ
江戸の女性のファッションも面白い。いい模様。

ところで国芳も国貞も春画をめっちゃ描いているんですけど国貞の方が変態だ…という感じがする。

今回展示されているわけではないけれど、ボストン美術館はかなり所蔵しているはず。

くにくに展は6/5まで。まあまあ混んでいたし、会期早めに行くことをおすすめします。
江戸時代から何が好き?

もうすぐ上野の東京都美術館で若冲展が始まるから、それも行きたいな。

MIHO MUSEUMの館長監修とのこと
この展示が始まるより先にMIHO MUSEUMへ行ってしまうかもしれない!

2016年4月6日水曜日

無限パン

目黒の駅近にあるバル

お通しが自家製パン
高田馬場にあるパン屋、馬場FLATでその日焼いたものが食べられる
ライ麦のカンパーニュとか
お通し代は500円で、パンはおかわりし放題

昔はこんな店なかったよなと思ったら、去年できたばかりらしい。

メニューはパンとワインに合いそうな品ばかり
ワインはボトルだと原価プラス1000円

ねぎとろフランスという謎のメニュー

夜に行ったけどランチセットも良さそうだった。
800円でサンドイッチ2つとドリンクとスープとサラダ らしい

向かいにあるceroという名前のワインバーも気になったので今度行ってみよう

庭園美術館に行った帰りや、目黒シネマで映画を観た帰りにでもまた立ち寄りたい


2016年4月5日火曜日

DUMP THE FATTY

『デブを捨てに』という本を読み終わった。
次は何を読もうかな 

君はデブを捨てに行ったことはあるか。

「うでとでぶどっちがいい」と問われデブを選んだ男とデブの物語で、ロードムービーみたいだった。
何かの比喩かと思ったら本当にデブを捨てる話だった。

表題作の他にも幾つか短編が入っている。どのお話も最悪劇場。
終わってる家族ごっこ、産み散らかして愛さない、捨てられるデブ。
どれも人と人とのギリギリの繋がりを描いた小説だった。

マミーボコボコ、その名は耐子。
キラキラネーム10連発にクラクラしてしまった。
ああ、可梨実ちゃん。かなしみちゃん。
なぜボコボコ産むのかと問われて「褒められたいからだよ」
「子供なんか欲しくないよ、ただ孕みたいだけ」

おっさんの「カモやん、世の中はのう、所詮、いんてりじゃんすーの丁半博打や。それと書物。書物を読めへん人間は上にはあがられへんねん。カモやん、書物読める?どっとえろすきー?あんた知ってる?ツミ子とバツ子いうの」という台詞が印象的だった…これが書物に書いてあるのだ

一番気に入ったタイトルは「顔が不自由で素敵な売女」という短編
ファッションヘルス叙々苑のハラミちゃんはハゲている。

『暗くて静かでロックな娘』を思い起こさせるタイトルである。娘はチャンネーと読む。

この人のつけるタイトルはどれも全力でソリッドな感じ
『独白するユニバーサル横メルカトル』
『或るろくでなしの死』
「デルモンテ平山のゴミ映画ビデオ150選」

暗くて静かでロックなチャンネーになりたい

2016年4月4日月曜日

TOKYO is YOURS

正真正銘のお花見をした。

美術館を出て、お金持ちが静かに豪華に暮らしているエリアをさまよい歩いている時にその公園を見つけた。

        



公園には大きな池があり水車小屋があり鯉が泳ぎそしてわび・さびといった風体の桜の木があった。公園のベンチに座って甘いものを食べながらお花見をした。

桜にも見られることに慣れている桜と慣れていない桜があると思う。もちろん桜というだけでこの季節は否が応にも注目を集めてしまうのだが俺を見ろ!みたいな有無を言わさぬ美しさをもった桜もいれば、なるべく見ないでほしそうな恥ずかしがりやの桜もいる。花魁みたいな桜もいれば、村娘みたいな桜もいる。

首尾よくひっそりとお花見しおおせたことに気を良くした我々は、なんと中目黒へ向かった。

 


目黒川の桜並木。有名だけれど初めて実際に観た。
どこまでも桜があって…夢の中みたいな、嘘みたいな景色だった。もちろん人がたくさんいたのだけど、桜の勢いが人の多さを凌駕していて、あまり他の人が気にならない気分だった。



桜はあまり好きじゃないと思ってた。

みんな桜が大好き、そうでしょう?という同調同圧が嫌だったし今までの上手くいかなかったことや新しい環境に馴染めない気持ち、私から去っていった人などを思い起こさせるから、さくら咲かないでと思っていた。

「さくらは生と死の間隙に植わった鬱くしい国の象徴です。紅白幕と鯨幕が相互に交わる時、冠婚葬祭が、或いは盆と正月がいっぺんにやって来る。」桜は祝い…桜は呪い…

それに桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!これは信じていいことなんだよ。何故つて、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だつた。しかしいま、やつとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる。

大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になります…と書いていたのは安吾だったか

でもこの日は桜を見て綺麗だなと思った。初めて日本に訪れた外国人みたいな気持ちだった。桜って綺麗だな。日本に来てよかったな。


   

池尻大橋の方から来て、中目黒を通り過ぎ、途中で桜色のスパーリングワインを飲んだりして、目黒まで歩いた。

東京を散歩するのが好き、散歩をしていると東京は私のものだと思える。私の東京があって、誰かと一緒に散歩をすれば自分以外の東京を知ることができる。

目黒のバルで軽く飲み食いしてからまた歩いて中目黒まで戻った。
夜桜も綺麗で、なんだか信じられないような感じだった。さくら咲くなんて。

いつかも誰かと桜並木の下をこうして歩いていたような気がする。
繰り返される諸行は無常

                      


桜を見すぎて最後の方はこれも桜に見えた。

   


俳句を詠みました。 

 花曇目蓋はあるけど耳蓋はない