2016年4月14日木曜日

美しい娘

ロシア映画『草原の実験』を観た。

監督はアレクサンドル・コットという人。

この映画は何も説明がない。場所も、時代も、登場人物の人間関係も、どうしてそんなことが起きたのかも。
セリフも一切ない。
だから、様々な解釈が可能だと思う。
英語タイトルは『TEST』らしい。
邦題は少し説明しすぎた。

これから観ようと思う人は、以下に書くことはできれば読まないで観た方がいい。
シンプルで黙示録的な美しい映画で、美しい娘が出てくる。

これくらいの予備知識で観に行くのがいいと思う。

主人公の娘は本当に美しい。
長い髪をリボンと共に三つ編みにしていて、それをそっとほどく所作とか、髪を下ろしているとぐっと大人びてみえる様子とか、首から下げている井戸の鍵を取り出そうとしたときに見えたうなじとか。
子供でも大人でもない境界にいる少女が静かに暮らす様子を淡々と映しているだけで、胸を打つような美しさがあった。

想像もつかないくらい外部と隔絶された暮らし。
娘がライフルを空に向けて撃つと馬に乗った青年がやってくるシーンが良かった

娘に恋をした青年が、映写機を懸命に回して彼女の写真を壁に映し出すシーンも美しい。
エドワード・ヤンの『恐怖分子』を少し思い出した。はためく印画紙。焼きついた彼女のイメージ

美しい娘と無骨な男の二人きりの暮らしを描く様子は何となくキム・ギドクの映画を思い出した(ギドクだったら娘は囚われの身かも)。
あのポツンと生えている木、あれはタルコフスキーの『サクリファイス』へのオマージュと言っても過言ではないだろう。
家の中の光や風の様子も、なんとなくタルコフスキーの映画を思い出した。『ノスタルジア』とか。
そして後半は園子温の『希望の国』を思い出した。

衝撃とされるラストは、邦題とオープニングと劇中の描写を丹念に拾えば想像がつくものの、轟音とその光景には言葉を失った。
荒唐無稽な、と思いかけたが現実に似たようなことが起こったことを思うと何も言えなくなる。

旧ソ連、現在のカザフスタンのクルチャトフにあるセミパラチンスク核実験場
旧ソ連の閉鎖都市の中でも最も機密とされた一つで、核開発の責任者はこのあたり一帯は無人であると偽って核実験を行ったという
クルチャトフという市の名前は、ソ連の核物理学者の名前である。

旧ソ連圏であろうどこか広大な草原が舞台というだけで、別に具体的にセミパラチンスクとの関連性を示すような描写はない。実際に撮影が行われた場所はウクライナらしいし。
観た人の想像に任されている。
父親らしき男は、核施設で働いていたのかもしれない。何も語られないからわからない。
娘の行く手を阻む有刺鉄線を観た時に、実は娘は隔離区域で暮らしていて、密かな人体実験が行われているのかと思ったけれど、逆で、それを越えると実験場なのかもしれない。
父親が途中で娘を車から下ろすのは、被曝を恐れてか。
余所から来たと思われる青い目の青年はどこまで知っているのか。どこに住んでいるのか。それでも恋をしたから娘の元へ通ったのだろうか。

同じ構図や同じことの繰り返しの描写が多く、永遠に続くかと思われた日々の繰り返しのそのわずかな違いに、退屈や外の世界へのあこがれだけではなく、静かな幸福や暮らしの安寧が漂っていたことに、すべてが吹き飛んだ後で気がついた。




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