2016年4月11日月曜日

Kind One

"むかしわたしは鬼たちの住む場所にくらしていた。わたしも鬼のひとりだった"

レアード・ハントの『優しい鬼』を読んだ。
この物語は、奴隷制が存在した南北戦争以前のケンタッキーの山奥の"楽園"での日々を軸として、過去のことを掘り起こすように、半ば懺悔のように、複数の語り手によって紡がれている。戦争や奴隷問題を描くというよりは、その背景の中で個人の人生に起こったこと、それぞれの語るべき物語を語らせることに終始している。

主人公ともいうべきメインの語り手の声はひらがなが多用されているためやわらかく、幼く、とりとめがない。そのため、その場所で営まれていた常軌を逸した生活もなんだかぼんやりとしかつかめない。複雑な感情を処理しきれていないという感じがする。それでいて残酷で美しい詩のように容赦なくこちらの心に響く。
おぞましい行為の描写を読んでいても、なんだか美しい詩の朗読を聞いているかのような気持ちになって、それが怖かった。

"置き去りにしてきたとおもったすべてのものが、明日と呼べるんじゃないかといまだにおもっていたもののまんなかにテントを張って「こっちだぞぉ」とわめく、そんな日がいつか来る。それで、わたしもここにいる。"
というなんだか読みにくい一節を読んで、悪夢からまだ目が覚めていないことに気付いたときのようにぐらぐらした
全体的にまだ完全には言語化することができていない気持ちを、しかし語るべきときがきたので語らねばならないと無理にでも言葉にしたかのような文章だと思う。

作者のレアード・ハントがこの物語につけた"Kind One"というタイトルを、訳者の柴田元幸は『優しい鬼』と訳した。
"優しい誰か""優しい鬼"ではだいぶ印象が違う。
でも優しい鬼とは誰のことなのか。

彼はすこしも優しくなんかない。ただの鬼だ。力で支配する。
女性を性欲処理の道具としか思っていない。

彼女はどうだろう。奴隷をただの道具として見ていただろうか。
年老いた彼女は自分がかつて鬼であったことを自覚している。だから罰を受け入れたし今でも責めを負い続けている。
それでは"優しい鬼"とは被害者であり加害者でもある彼女のことだろうか。

それでは奴隷として虐げられた彼女たちは、何をしたか。


ずっと"優しい鬼"とは誰のことなのか考えながら読んでいたけれど、読み終えて誰もが"優しい鬼"たりえるのだとわかった。どの語り手も、あるいはこの物語を読んでいる我々も、誰しも""になってしまう可能性がある。あなたもわたしも少しずつ優しいし少しずつ鬼なんだと思う。
実際に同じ人間を、奴隷として使っていた歴史がある。人は簡単に歪むと思う。

ちなみにフランス語では"Les bonnes gens"と訳されているという。
全員鬼で、全員優しい女性たち。

支配され虐げられる者の象徴として豚が描かれている。
"豚は、自分がされていることを知っている。"という短い文章が頭から離れない。


狂った生活を描く中に差し込まれる、虐げられる者が語る空想の物語や、詩のような魔法のような描写にあっけにとられたり魅了されたり不安になったりした。
"あんまり長いこと、あんまり激しくわらうものだから、そのうちなんだか、わらいが父からはなれていってスカートのすそをつまみ上げ固いブーツでテーブルの上にのぼってわたしたちの目のまえで踊ってるみたいな気がした。"

自分を性的に虐げる者の比類なき歌声の美しさを表すのに使われていた、"ひとの背中から皮をはいでべつのひとの背中にはりつける力があった"という表現には目を見張った。


1911年/1850年代/1861年。ケンタッキー州シャーロット群、インディアナ州クリントン群。
年代と地理こそ明確に示されているものの、物語はピンホールカメラで撮った写真のようにぼやけている。
何かが写っていることはわかるが、それが、兄だったのか。孕んでいたのか。黒人だったのか。奴隷だったのか。なぜ殴るのか。娘ではなく母だったのか。自ら誘惑したのか。誰が殺したのか。息子だったのか。実の娘たちだったのか。どうして死んだのか。誰が誰を愛したのか。どうして殺したか。なぜすぐ殺さなかったか。どうしてすぐ逃げなかったか。
こうした事実は後になって明らかになる。

アメリカ人読者や、そうでなくともアメリカの地理や歴史がちゃんと頭に入っていてそれをすぐに引き出せる人が読めば、当時インディアナ州からケンタッキー州の農家へ14歳で嫁ぐということの意味がすぐわかったのかもしれない、私は語り手と同じようにそれがどういうことなのかよくわからなかった。知識として知ってはいてもこのどこか幻想的ですらある物語に結びつかなくて、徐々に理解した。
ルイヴィルが奴隷市場の中心地だったことも、オハイオ川が北部の自由州と南部の奴隷州の境界線であったことも、読み終えてから認識した。
彼女たち姉妹の肌の色と身分に気が付いたのも物語がだいぶ終わりに近づいてからだった。

暗澹とした過去の記憶の中で「君は内から光のようなものを発していて、そのかがやきがすばらしいと思う」という愛の言葉がいっそう輝く
鬼の行為と優しさの対比


今までにない読書体験を得られた1冊だった

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